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2017-02-11(Sat)

平成日本紀行(173) 下関 「巌流島」






 平成日本紀行(173) 下関 「巌流島」    、





下関海峡にある巌流島(船島)




http://img-cdn.jg.jugem.jp/a46/102630/20160325_1593791.jpg
巌流島の決闘シーンの像(船島にて展示)






巌流島は、敗れた佐々木小次郎の流派・「巌流」からその名が起こった・・、

下関海峡の彦島(ひこしま・ 下関市の南端にある島で、彦島本島のほか、響灘に浮かぶ六連島・むつれじま、彦島の至近にある竹ノ子島・たけのこじま・彦島と道路橋で接続、巌流島・正式名称は「船島」の3島を含む)の東部、海峡に面して小さな「船島」がある。 
元々、船の形をした島だったそうで、今は島の西部が埋め立てられて昔の6倍もの面積になったとかで、船の形など見る影もない。
この島を通称「巌流島」といっている。



宮元武蔵」は備前・大原町の出身で、十代前半の時から諸国を巡って剣の道一筋に練磨し、その間、京都一乗寺下がり松での吉岡一門との戦いをはじめ、槍の宝蔵院や伊賀の鎖鎌の宍戸梅軒などと試合をして勝ち、29才で九州・舟島において佐々木小次郎と決闘する間、60余度の勝負も負けたことがなかった。

一方、その「佐々木小次郎」は越前国・今立町(高善寺)の出身で、元々、武将の血を引いてか、幼い頃から仏門を嫌い、当時の越前国領主・朝倉家の剣術師範・富田勢源の道場へ通い、腕をあげ「つばめ返し」という秘剣法をあみだし、18歳の時武者修業の旅に出る。 
全国の一流剣士と他流試合を重ねて次々と倒し、戦国時代1、2を争う剣豪として一世を風びしている。 

修行途中、細川忠興公に見出され、細川藩の剣術指南役として小倉に道場を構え、藩士達に剣術を教えていた。
豊前・小倉に日本一の剣士として名高い佐々木小次郎の存在を耳にした武蔵は、細川藩筆頭家老の長岡佐渡興長(ながおかさどおきなが)の仲介により藩主公認の下、佐々木小次郎と決闘に及ぶのである。


江戸初期・慶長17年(1612年)4月、宮本武蔵と佐々木小次郎の決闘が行われたことは、あまりに有名で、その内容は物々に語られているが、その大基(おおもと)になっているのが「ニ天記」(武蔵について記述された書、肥後松井家の家臣・豊田景英の編纂による)に拠るところが大きいと言われる。

それによると・・、
その日、巳の刻過(午前十時)武蔵が船島に到着、待ちくたびれた小次郎との間で、遂に決闘が始まった。 
小船から降り、波打ち際に立った武蔵の木刀は振り下ろされ、小次郎の頭上を打った。 
小次郎もまた太刀を払うが、武蔵の木刀は、小次郎の脇腹に二の太刀振り下ろされ、勝敗は決した。 
勝った武蔵も相当慌てていたらしく、止め(とどめ)をさすのも忘れ、船に飛び乗ったという。

長時間も待たされた後、決闘の最中に小次郎が刀の鞘を捨て、それを見た武蔵に、「小次郎敗れたり。勝つ者が何故、鞘を捨てたりするのか」と言ったのは有名な話で、小次郎は逆上して武蔵に敗れたとされている。

結果的には敗れた小次郎だが、彼が強かったというのは本当のようで、巌流島での実力程度では武蔵よりも小次郎の方が強かったといわれる。
小次郎が老獪な武蔵の戦術にはまって敗れた、という見方もできるという。 
負けた小次郎の流派・巌流に因んで、船島は以降「巌流島」と呼ばれるようになった。
負けと方の小次郎に縁を持たせて、命名したのは面白い。


陸上から見る限りでは、巌流島がどこにあるか皆目見当がつかないが、下関名所「海峡ゆめタワー」(JR下関駅東、高さ約150m)に昇れば一目瞭然とのこと。
船島(巌流島)には遊覧船で行くことができ、島の園地には巌流島文学碑、巌流島木碑、佐々木巌流之碑、展望広場に対峙する武蔵像・小次郎像決闘の地を連想させる人工海浜や海峡沿いの散策道などが整備されている。



宿敵同士であった宮本武蔵生誕地の備前・大原町と佐々木小次郎の出身地である越前国・今立町とは1990年に姉妹都市の縁組を成立させたという。
二人の出会いとなった巌流島で下関、元細川藩の熊本両市長の立会いのもと調印を行ったという。 
このことで二つの町は宿敵としての関係を越え、同じ剣の道を志したもの同士としての深い絆を結ぶことになった。


次回も、下関・「馬関海峡


『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/







  
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2016-02-26(Fri)

中国地方の旅・広島県: 安芸の音戸 「音戸の瀬戸」 




 中国地方の旅・広島県: 安芸の音戸 「音戸の瀬戸」 
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http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/71/Ondono-seto_Ccg-88-1_c32_2.jpg/640px-Ondono-seto_Ccg-88-1_c32_2.jpg


http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/b/b9/Ondono-seto_Bridge_and_Watashibune_Hiroshima.JPG/1024px-Ondono-seto_Bridge_and_Watashibune_Hiroshima.JPG
音戸の瀬戸


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呉の港から、南下すること5~6kmの南端に「音戸の瀬戸」がある。 
ここに倉橋島への瀬戸大橋が架かり、更に、能美島への早瀬大橋から江田島へ到る。 つまり江田島へは実質的には車を使えば陸続きで行ける。 
音戸の瀬戸は、呉市と音戸町の間にある全長1km、最小幅100m余りの水路で、ここは1日500隻以上の通過船がある重要行路でもある。 
音戸かわいや 音戸の瀬戸で 一丈五尺の 櫓がしわる」と唄われたほど、潮の流れが速く、古来難所と言われた。 

音戸大橋の下には、今もなお、小さな渡し舟が激しい潮の中を行き来しているという。 
瀬戸は、大昔は干潮時になると陸地に成る浅瀬であったが、約800年も前の平安期、平清盛が厳島神社造営、参詣のために難工事で開削したと伝えられる。 
音戸町役場の前の岩礁に「平清盛の塚」があるという。   


音戸の瀬戸開削の恩人清盛公は、当時、このような難工事には人柱をたてて工事の完成を祈願していたとも言われています。 一方では、人命を尊び、人柱の擬製に代えて一切経の経文一字一石、心をこめて書いた経石を沈めて工事を完成させたともされています。 清盛公の死後、1184年(元暦元)村民は、この地に清盛公の功績をたたえ、塚として石塔(宝篋印塔)を建てた。 これが、「清盛塚」である。

塚の中央に高さ2mの古色蒼然たる宝篋印塔が一基あり、その側に枝ぶりも見事な「清盛松」がその影を美しく瀬戸の渦潮にうつしている。

 「芸藩通志」に『相伝ふ(略)の口に石をたたみて、上に石塔を建つ世に相国(清盛)の塚といふ』とあります。




音戸の舟歌』 広島県民謡

(アードッコイドッコイ)
ヤーレーノ船頭可愛いや
音戸の瀬戸でヨー 

(アードッコイドッコイ)
一丈五尺の ヤーレノ
艪がしわるヨー 

(アードッコイドッコイ)
 ※以下 掛け声同様
ヤーレーノ安芸の宮島 
廻れば七里ヨー 
浦は七浦ヤーレノ 
七恵比寿ヨー




次回、愈々、世界遺産の安芸の宮島・厳島神社へ参ります

  
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2015-10-28(Wed)

海外留学と合わせた海外旅行の自己研鑚





海外留学と合わせた海外旅行と自己研鑚、




夕日に染まる「グランド・キャニオン」




海外留学しながら当地の観光や歴史文化を学びながら巡る・・!、
何と羨ましい限りですが、日本では昔から「可愛い子には旅をさせろ」ということわざもあります。 特に、留学というのは実も知らない他国へ訪問して特別に己の研鑚を施す、ということでもあり、ある種の覚悟と自己犠牲を伴うものでしょう。
併せて、眼と耳と脚で当地の自然や文化を観光しながら学ぶということは、二重の学問にもなり、海外留学する人達には是非に併せて当地での旅や旅行をお勧めしたいことですね。

御当地の観光地巡りも、特に、アメリカ大西部に形造られたグランド・キャニオンは世界遺産の自然遺産にも登録されていて、世界遺産としては其の迫力ある規模といい巨大さや広大さではナンバー・ワンとも言われるそうです。
アメリカの大作曲家・グローフェが作曲した名作・「グランド・キャニオン」としても有名ですが、その大景観は実に素晴らしいの一言に尽きます。 こちらは単なる峡谷というより、その高原における裂け目や岩の形、岩塊が何とも異様というか不思議な形をしていて、岩山や尖塔岩などが入り交じった迷宮のような処でもあります。 数百万年の昔から地球の営みでもあるコロラド川の浸食によって出来上がったものとされ、これらの大峡谷一帯をグランドキャニオンと呼ばれるようになったとされます。

ところで、旅は英語でいう「トラベル」ともいい、トラベルという英語の語源は「トラベイユ」(労苦、苦労の意味)、という意味もあるといいます。 尤もな事で、一昔前までは旅というのは自分の脚で歩いて移動したものであった。
海外留学もそうで、其処には多大な苦労や苦痛がある筈であるが、此れを乗り越えてこそ揺るぎない人間形成が出来上がるもので、旅や旅行、観光も其の一旦であるとも言えるでしょう。


栄 陽子留学研究所>; http://www.ryugaku.com/blog/entry/tabi.html

学生のうちに一度は訪れたい!人生の価値観が変わる5つのスポット by 留学広報部





2015-08-29(Sat)

近畿地方・洲本 「稲田騒動・Ⅱ」(庚午事件)




 近畿地方・洲本 「稲田騒動・Ⅱ」 (庚午事件)  





稲田藩の渦中で時代に翻弄されながら、けなげに強く生きた女性・お登勢





b>明治維新と庚午事件(こうごじけん)について 、

時代は遡るが戦国期、豊臣秀吉によって天下は、ほぼ治まった。 
秀吉の重臣であった蜂須賀氏は四国攻めに功が有ったとして、阿波の国(徳島)一国(石高・17万5千石)を与えられる。秀吉と蜂須賀の関係は、彼が幼名「日吉」の頃、矢作川で出会って以来、終生子分になることを誓っていた。(蜂須賀小六、太閤記) その蜂須賀小六の重臣に稲田氏がいた、重臣とはいっても小六とは義兄弟の間柄だったという。二人はともに豊臣秀吉のために戦い、大いなる功績を残す。秀吉は、やがて蜂須賀家を主とするようになり、稲田家はその客分として従属させた。しかし、稲田にしてみれば「わしらは蜂須賀とは同僚であっても家来ではないぞ」、という気概と気分が最初からあった。 その後、江戸期になってからは両家は相反目しあうようになり、それからの長い歳月が経って、やがて明治初期の稲田騒動につながってゆく。

この時期、蜂須賀家は阿波16万石になっていて、その城代家老としての稲田氏は1万4千を有し、所領として淡路・洲本城代に任じている。稲田家は瀬戸内を中心に豊かな経済力をもち、また貴族や公卿とも縁組をするなど、その地位を高めていた。 
又、蜂須賀家は徳川家と縁組を持ち、松平家を名のるほど近親の間になっていた。(2代目松平阿波守至鎮・よししげ以降は松平を名乗る)
江戸末期、尊皇攘夷の風が吹く中、稲田家とその家臣は積極的に尊王攘夷派の運動に参加していった。 蜂須賀家は、徳川家を中心とした公武合体論に終始する。 稲田家は、維新戦争の際にも多数の人員を派遣し、明治維新には大きな功績を残したはずであった。 このような因果で、両家は更に確執を生ずるようになる。

明治政府は明治2年、版籍奉還、廃藩置県を実施した。 
特に武士の身分を士族と卒族(平民)に分け、俸禄も減じられた。 
稲田家は元々蜂須賀家の家臣だった為、その減額は甚だしく、稲田家臣は死活問題であったため、士族への編入を嘆願するとともに稲田家の分藩独立運動を起こした。 
これに堪りかねた蜂須賀家の一部の過激派が決起し鉄砲、大砲を持ち込み洲本城の攻撃を始めるなど、一大紛争を巻き起こした。 

明治政府は仲裁に乗り出し解決に至ったが、その決断・判決は両者に厳しいものであった。 蜂須賀・徳島藩側主謀者には10人に切腹、八丈島への終身流刑27人、その他禁固、謹慎など多数に及んだ。(武士社会に於ける、最後の切腹事件といわれる) 
又、稲田家側は、朝廷から主人の稲田邦植以下、家臣全員に北海道の静内郡と色丹島(後に返上、現北方領土)への移住開拓が申し渡された。 
勤皇派で、明治維新に大いに貢献した稲田家にとっても過酷な内容であった、だが見方によっては両家の怨恨を無くする為に遠ざけた結果とも云える。この事件を庚午事変(こうごじへん・稲田騒動)と称してる。
 

更に次回へ続く、




 

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