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2016-09-17(Sat)

平成日本紀行(139)水俣 「水俣資料館」 



九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)




『九州紀行』は以下にも記載してます(主に写真主体)
九州紀行」; http://orimasa2009.web.fc2.com/kyusyu.htm
九州紀行」; http://sky.geocities.jp/orimasa2010/
.





 平成日本紀行(139)水俣 「水俣資料館」   ,






http://cdn.amanaimages.com/cen3tzG4fTr7Gtw1PoeRer/01010014735.jpg  
水俣病の発生源”不知火の海”(八代海)が見渡せる丘にたたずむ「水俣病資料館」




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「水俣病」は、現在の環境問題へ提言した・・  、

近頃、「ALWAYS 三丁目の夕日」という題の映画がヒットした。 
この映画は、昭和33年頃の古きよき日本を舞台にしたもので、昭和の雰囲気が存分に出ている。
特に、建設途中の東京タワーなど、当時の日本が忠実に再現されている。
この年、「熊本・水俣」で奇病が発覚した時期でもあり、実はこの頃の東京も汚れていた。 


小生が少年の頃、上京した折の東京の印象は台東区・三河島のお化け煙突(火力発電所、見る位置によって1,2,3,4本と化けて見え、東京の名物であった)からはモクモクと黒い煙を吐き、上空はスモッグで常時モヤっていた。 

幼少の頃泳いだ「荒川」は黒く汚れ、“春のウララの”の隅田川は、電車で架橋を渡るときヘドロの臭いがした。

東京湾にはアオコが発生し、死んだ魚が浮かぶ死の海であった。

今、現在は荒川には鮎が遡上し、東京湾は透明が増して海底も見えるほどであり、隅田川は屋形船で夜桜を見物できるまでになった。


最近の報道で「チッソ」についての記述があり、水俣病対策で培った汚水処理などのノウハウは、水質汚染などの公害に悩む各国からの引き合いがあって、それらが収益に結びついているという。

人間は傲慢な悪魔にもなるが、知的な聖者にもなれる変幻自在の動物のようである・・! 。


平成16年、最高裁は関西訴訟(熊本県から県外に移った人達の訴訟)上告審判決で国・県の責任を認めた。
だが、これに対しても環境庁(2001年・平成13年に環境省に昇格)は昭和52年当時の基準に固執して多くの患者の認定を切り捨てている。

米軍基地移設で数千億円の大判振る舞いや、年金で利用者の少ない保養施設に数百億円かけても平気な顔をしている国、行政。 
まさに国民の命を守るという最低限のことすらできず、発生から50年を経た今でも全面解決できない状況にあるのである。


地域、企業の環境に関して・・

京都議定書」で言う、地球温暖化という一つのグローバルな環境事案に関しては、各国が机上に載せ議論されているようであり、又、地球環境問題(地球サミット)で既に国際的に標準化されたものもある。 

それは世界中全ての地域のあらゆる種類と規模の組織(主に企業)に適用され、地球環境に配慮した企業である一つの指標として、「ISO14001」という認証取得制度がある。 ISO14001とは、ISO(国際標準化機構・International Organization for Standardization)が1996年に制定した規格で、組織(企業・自治体など)に対して環境に負荷をかけない事業活動を継続して行うように求めた規格である。
これらも、詰めれば住民や社員など各個人の意識の問題でもあろう。




水俣病資料館」は水俣公園の高台、八代海を望む風光明媚な地の一角、チッソの工場の付近にあった。 
白系の明るい色調の芸術性のある建物の内部は、水俣病の50年の苦難の歴史を物語っている。 
展示は水俣病の被害を紹介するものはもちろん、その後の裁判の推移、市のとった再発防止策など、水俣病の痛手からいかにして立ち直ったかを紹介する展示にも力が入れられていた。

今、企業、地域、国はおろか地球規模で環境問題が取りざたされている。
そんな中、水俣病の問題は地域住民とそこに位置する企業との間のことで、環境とその保全に関しては一つの結論は出ている。

資料館を訪ねた帰り際、一冊の冊子を受け取り、最後のページに「水俣病が私たちに教えるものはなんでしょうか・・?」と問いかけている。 

そこには・・、
『 家庭や事業所から出すゴミは、自然を損なうものであってはいけない。 大量生産、大量消費、大量廃棄によって、私たちの暮らしは便利で豊かになったが、排気ガス、農薬、食品添加物など、様々な有害物質に取り囲まれ、環境や健康破壊の危険にさらされている。私たちの物質的に豊かな暮らしは、世界の国々との関係を抜きにしては考えられないし。水俣病は私たちに被害者であると同時に、加害者でもあることを教えている。 「水俣病」は自然を壊さず、自然によって生かされているという考えにたって暮らしていくこと、人や川や海などとの関わりや安全な食べ物について考え、家庭のゴミや産業廃棄物の減量化・リサイクルについて取り組むこと、地域の問題から目をそらさず向きあっていくこと・・、の大切さも教えている。環境は一人一人の意識の中にある 』・・、と結んである。

次回は、「薩摩街道

  
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2016-09-15(Thu)

平成日本紀行(139)水俣 「水俣病」(2)



九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
(この記事は震災以前のものです)





 平成日本紀行(139)水俣 「水俣病」(2)    、











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水俣病は、人間を廃人にした・・!!  、

水俣病」は、新日本窒素肥料(現在のチッソ)水俣工場が、アセトアルデヒド(分子式CH3CHO、 無色の刺激臭ある可燃性液体でエチレンの直接酸化によって製する。
有機合成の原料として重要な素材)の生産のときに触媒(反応を促進させる素材)として使用した無機水銀つまり「メチル水銀」が主要因とされた。 
工場は触媒の反応過程で副生されたメチル水銀を排水し、特に1950年代から60年代にかけて水俣湾(八代海)に、ほぼ未処理のまま多量に廃棄した。
そのため、魚にメチル水銀の生体濃縮(化学物質が生態系での食物連鎖を経て生物体内に濃縮されてゆく現象)が起こり、これを日常的に多量に摂取した沿岸部住民等への被害が多発した。

メチル水銀は体内に入ると主に脳などの神経系を侵し、言語障害や痺れなど様々な症状を引き起こすことが判明している。 
「チッソ」は毒そのものの廃水を無処理同然で海に流し続け、魚は食物連鎖から生物濃縮で体に水銀を溜めていき、人はその魚を昔の暮らしどおり変わりなく食していた。 
変わらなく見えた暮らしの中から、こうして水俣病は起こったのである。 


「生物濃縮」とは汚水がプランクトンや微生物を汚染し、そのプランクトンを小魚が食べ、さらに大きな魚が食べ、最後に人間が大きな魚を食べるという仕組みの食物連鎖である。
それは陸上にもあり植物の葉や実を鳥、家畜などが食べ、そして、最後に人間が家畜などの肉を食べるのと同様の仕組みである。



水俣病の症状」は、想像を絶する悲惨で凄惨なものであった・・!

発病患者は面会に来る家族・知人の識別ができず後ずさりしたり、目や耳も機能せず、言語・知能障害・運動失調で廃人同様の状態にあって無残なものであった。 
文字通りベッドの上で“のたうち回り”、“激しい痙攣”を伴い、まさに生き地獄状態であった。 
また、水俣病は伝染病だとして偏見を受けたり、発病した家族の就職内定を取り消しされたり不当な差別をも受けたという。



現現在の「チッソ」は日本高度経済成長の牽引車であり、特に液晶では世界的に見てもトップレベルであるという。 
水俣工場では液晶を始めとしたファインケミカル製品、化成品、合成樹脂、化学肥料を作っている。

世界でもトップレベルの会社は九州の小さな町にあって、町では人達が大勢働いている。 
現在も水俣の税収の半分以上を納めているチッソは、従業員は660人ほど、関連会社で働いている人は水俣のみで2000人もおり、チッソの城下町ともいわれる。 
そんな中で差別に耐えながら告発することの意味、水俣病の根底にある複雑な事情が見えるのである。

30年経過した昭和末期、熊本県のみの認定患者は1700人、棄却者処分(裁判において認定申請を棄却された者)は6000人、未処理申請者は4300人いたとされる。 
審査の遅れと、認定のゆがみに抗議する“検診拒否運動”が起こり、これに対して県は医療費補助をうち切ったという。 

水俣病発生から50年たっても未だに問題解決されないのは、水俣病を取り巻く経緯、経過が極めて複雑怪奇であり、当時の「高度経済成長」の中で、政策の第一が産業優先に行われていた時代背景もあると言える。


水俣病を取り巻く失態の要因として、次のような項目が挙げられるという。

1、会社の傲慢体質や安全思想の欠如と人間的な差別。
2、病理研究機関(熊大医学部等)への非協力と役所、同業者との結託しての妨害工作。
3、行政機関の取組の遅滞、無責任さ。
4、「奇病」による住民の誤解、差別問題。
5、地域としての企業優先、企業城下町の体質。
6、被害者と一般住民の補償金などによる批判、嫉妬、虐め等々。
7、その他・・、


当時の日本は、東京オリンピックや日本列島改造論などによる、経済最優先の時代であり、それが至上使命でもあった。 
しかし、それには反作用、弊害が生じ所謂、公害が社会問題化しつつある中でもあり、被害者の訴訟はこの様な社会事情から起きている。

水俣病、第二水俣病(新潟県阿賀野川流域で起こった有機水銀による汚染、水俣病に同じ)、四日市ぜんそく(石油化学コンビナートから排出された有害ガス汚染、気管支炎からぜんそく症状、肺炎・肺気腫から死亡に至る)、イタイイタイ病(富山県神通川流域、神岡鉱山から排出されたカドミウム汚染、骨軟化から骨折し、「イタイイタイ」と叫びつつ死亡に至る)の四件は「日本の四大公害」と呼ばれ、日本の産業公害の典型的なものであった。 
四大公害は加害企業に対して訴訟が起こされ、いずれも原告(被害者)側の勝訴に終わっている、これを、四大公害裁判と呼ぶ。これらをきっかけにして公害健康被害補償法なども成立している。


更に、「水俣病」が続きます。

  
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2016-09-15(Thu)

平成日本紀行(139)水俣 「水俣病」(1) 



九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
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 平成日本紀行(139)水俣 「水俣病」(1)    、




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右手に津奈木太郎峠を越えの旧鹿児島街道がくねりながら見え隠れしているが、間もなくその津奈木の町内に入った。
JRの津奈木駅付近では頭上を新幹線の直線の架道が横切っている。これより一走りで新装なった新幹線の停車駅である「新水俣」駅へ出た。 
二階ホーム駅舎のパネルが異様に光っている。


九州新幹線は現在、新八代~鹿児島中央間を結ぶ部分が2004年(平成16年)3月、一足先に開業しており営業運転を行っている。
そして博多~新八代間もすでに建設着工されており、2010年度末の開業が予定されているらしい。 
鹿児島ルートが全線開業すれば博多から東海道・山陽新幹線と線路が繋がり、東京~鹿児島中央間・つまり日本の3分の2の地域が新幹線で結ばれることになる。

現在、JR九州とJR東海そしてJR西日本との間で交渉中らしいが、現時点では新大阪駅-鹿児島中央駅間の直通運転が検討され、有力視されている。 
ただ、JR東海である東海道新幹線の東京駅からの直通乗り入れは所要時間及び料金面で航空便と対抗する事が困難な事から、鹿児島中央までの直通列車乗り入れの実現性は極めて低いとの見方が強いという。

尚、在来線の鹿児島本線は本来は門司港~鹿児島間の路線であったが、2004年に九州新幹線の新八代~鹿児島中央間が開業したのに伴い、八代駅-⇔川内駅( 117km区間)は「肥薩おれんじ鉄道」と改名され、第三セクター会社に経営が移管されているという。


新水俣の新装駅前を過ぎると直に水俣市街に達し、今度は“第三セクター”の水俣駅である。駅を通過すると間もなく右手に周りは用水路で囲まれ、塀の高さは2.5mくらいあろうかコンクリートの壁と樹木が植えられていて、隠すように会社・工場が延々と延びている。
中を覗うことは出来ないが、何やら辺りには妙な匂いが漂っている。
この先に広い公園が在って「水俣広域公園」と標識にあった。 

散歩中と思われるオバサンに「こちらの焦げ茶色の建物(プラントらしい・・?)はチッソですか・・?」と、かって知ってた名前を出してみた。 
「ハイ、そうですけん・・、あちらもそうたい・・、」と今通ってきた黒塀の方を指差した。「ああ、ヤッパそうですか・・どうも・・」、怪訝そうに小生の車やナンバーを確認していた。


水俣病」の名は世界にも知られているというのに、それを起こした当の会社が駅前の一等地にケッコウ大きな顔をして居座っていて威圧感すらある。 
未だ「チッソ」の水俣市における権威と存在感をリアルに感じるのである。

小生がまだ高校生の少年の頃、小さな白黒テレビで「猫が身体を揺すりながら、突然、ひっくり返って痙攣しながら絶命していく・・」、「人がベットの上で、目を一点に見つめ、手足を痙攣させながら反復運動を繰り返している・・」、こんな姿に嫌悪と恐怖を感じながら見ていたのを覚えている。 
後に九州、熊本県・水俣地方においての「奇病」であることを知った。


次回も「水俣病」

  
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2016-08-30(Tue)

平成周遊紀行(137)坂梨 「三地方の追分」 




九州地方の皆さん、此の度の大震災に謹んでお見舞い申し上げます。
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  平成周遊紀行(137)坂梨 「三地方の追分」   .










なまこ壁が昔の風情を残す「坂梨」





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「坂梨」は、豊後地方と日向地方、そして肥後地方の「追分」である・・

田園風景の国道57を行く、阿蘇外輪の山並みが行く手を遮るようである。
平地を過ぎて山間地に入った頃は既に肥後・熊本県の「波野村」である。 

山地といっても褶曲した山様ではなく段々状の斜面になっている。
そこは高地冷地ゆえの自然条件を活かした野菜作りの広大な畑が広がる。
この辺りは「そば」と「キャベツ」の生産で名高いという。


国道沿いに「道の駅・波野」があり波野神楽のインフォメーションセンター、「神楽館」が在り、神楽を観賞しながら特産のソバを賞味できるという。

南に外輪山の「根子岳」の勇姿がひときわ豪快に望める。 

道脇に「すずらん自生地」の看板が所々に見られる。 
「すずらん」は本州中部以北の高原や北海道に多く自生しているが、九州地域で野性のものが見られるのは珍しい。 


急な登りの大曲を登りきると「滝室坂」とあった、見晴らしのようところである。 
南へ約1kmの外輪山の絶壁に名所の「古閑の滝」がある。
寒期には全面氷結することで知られ、この氷を民家では氷室に蓄え、病人用に保存したことから滝室の地名が生まれたという。


ヘヤーピンの急カーブから見えてる風景は阿蘇内輪のお馴染みの風景であり、下りきったところが「坂梨」である。 
国道沿いの坂梨は今となっては変哲もない田舎の風情のようであるが、往時は豊後街道の宿場町として大いに栄えたところだという。 

肥後から来ると豊後街道と日向(野尻)往還の追分け(道が左右に分れる所、分岐点)の地であもり、滝室坂方面(豊後街道)や箱石の峠越え方面(日向往還)を往来する人々の旅人宿や商屋、医者等の屋号を持った家々が軒を連ねて大変賑わい栄えたという。 
特に加藤清正公が豊後街道を整備した後、参勤交代は勿論、行商や荷駄を運ぶ旅人が多く往来するようになったともいい、又、肥後と豊後の国境付近でもあったので関所の機能を持った番所も在ったところである。


現在の国道を50mほど南へ行ったところが旧街道で、国道265(日向往還)が分岐する辺りを中心に、東西に連なる宿場の面影が今も残る。 
清水が流れ生け垣や板塀、格子戸や鎧壁の間に常夜灯や軒灯が灯る、そんな風情と人情が「坂梨」に今も残るのである。 地域住民も旧宿場町の風情を残すべく、懸命に努力している姿が覗える。



阿蘇一の宮、赤水温泉の外輪山荘は先日通過した地点で懐かしい、立野のことも先刻記した。


大津から九州道の熊本I・Cへ乗り、ここからから南下して「八代」を目指す。 

カーナビには載ってないが九州高速道は八代で九州本道と新しく完成した南九州道の分かれていて、日奈久まで延びているようである。 
沿岸道なのに山が険しく迫ってきているためトンネルが多い、過ぎると「田浦」であった。

「道の駅・田浦」があり、時刻的にここで一服しばがら昼食を摂る。道の駅エリアの上部天井には工事中の高速道が在り、日陰になっていて都合がいい。 
時折吹き寄せるそよ風が気持ちいい。 

実は熊本地方は本日、最高気温の32℃を記録している、すでにカンカンで暑いはずである・・!。 
尤も、今日が特別暑い日という訳ではない、連日の好天で気温も上昇し、30度前後を記録していて小生も暑さでイササカ閉口しているのである。


次回は球磨・「人吉

  
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2016-07-15(Fri)

平成日本周行(128)北里 「北里柴三郎」 



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 平成日本周行(128)北里 「北里柴三郎」  ,





http://www.kitasato-u.ac.jp/mb/news/image/shibasaburo01.jpg



https://encrypted-tbn2.gstatic.com/images?q=tbn:ANd9GcSBtY06JycFdb_0WXnkjIa9dMYOCaW_sb0_wpSOag8yTtPCoI8r




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北里は第1回ノーベル賞の最有力候補となるが、「黄色人種」であるという理由から受賞候補から外された・・!!、

サッパリ気分で「黒川温泉」を後にする。
粋な川端通りから橋の袂に来たとき、河原近くに共同浴場の「穴湯」がこじんまりと佇んでいて入浴料100円とあった。 

先ほど来た道を一旦小国町まで戻り、熊本、菊池から延びている国道387を行く。 
途中、北里地区(小国町)に「北里柴三郎記念館」があった。 細菌学者で医学博士の北里柴三郎の生家であり出身地である。 

この辺りの地域名は「北里」と称しているが、元々、肥後の国・北里村であったようで柴三郎は江戸末期・嘉永5年に、この村の庄屋の倅として生まれている。当時は「北里村の柴三郎」という呼び名であったろう。


江戸時代には「苗字帯刀」(姓名を唱え、刀を腰につけること)は武士だけの特権であり、身分を示す象徴としての役割を果していた。 
しかし庶民の中でも特に家柄や功績によって、又ある場合には御家人株の売買などによって苗字帯刀が許されることもあった。 
その場合は一代許可、永代許可、名字のみ、帯刀のみの例もあったようである。 


1870年(明治3)に太政官から苗字差許し(さしゆるし)の布告が出されたが、市民は苗字がなくても特に不自由しないので苗字を名乗ろうとはしなかった。 
しかし、明治政府は戸籍整理のため1875年には苗字を持つことを強制、義務づけられた。 

同時に帯刀については、同じく1870年に庶民の帯刀は禁止されている。 
苗字の付け方は各々自由だったらしく、山の方に住んでる人は山に関係した呼び名で山本、山下、山中・・、海辺の人は浜中、浜内、内海・・、村や地域の名を取って付けた人はその土地の功労者や責任ある立場の人であったろう。 

北里家は元々村の庄屋であったので村の名を名乗ったのかもしれない。 
因みに、9月19日は「苗字制度の日・苗字の日」、2月13日は「苗字制定記念日」である。



北里柴三郎は細菌学者として野口英世と並び、世界にその名を知られる。
小生在住(厚木市)のすぐ近く、神奈川県相模原市北里地区に北里大学病院があり何度か世話になったが、近辺の人達にもかなり評判が良い病院のようである。むろん、北里柴三郎が創立した病院である。


明治中期(1901年)、日本最初のノーベル賞の受賞確実とされたが、偏見にて除外された事は「知る人ぞ知る」であろう。 

この時、共同研究者であったベーリング(ドイツの医学者)と共にジフテリアの血清療法を発表し、その功績により1901年の第1回ノーベル賞の有力候補となるが北里は「黄色人種」であるという理由から受賞候補から外され、べーリングのみがノーベル生理学・医学賞を受賞したという。 

この件に付いての資料が近年発見され、初期のノーベル賞受賞選考の際に明らかな人種差別があった事の証明となり、ノーベル賞の「負の歴史」として残されているという。



北里柴三郎は明治4年(1871)熊本医学校に学び、更に東京医学校(現東京大学医学部)に進んでいる。卒業後、内務省衛生局に勤務、国の留学生として結核菌の発見者であるドイツのローベルト・コッホ(ドイツの細菌学者、炭疽菌、結核菌、コレラ菌の発見者)に師事する。 

ここで貴重な研究業績を次々に発表、とりわけ破傷風菌の純粋培養法の確立(1889)と血清療法の発見(1890)は前人未踏のもので世界の医学界にその名を留めた。 

帰国後、福沢諭吉などの援助により伝染病研究所を設立、わが国の近代医学に大きな足跡を残す。
この研究所では野口英世(福島県猪苗代の貧農家の出身・日本の世界的細菌学者で黄熱病や梅毒等の研究で知られる、研究中に自身も感染して51歳で死去)なども学んでいる。 

福沢諭吉の没後の1917年(大正6年)、彼による長年の多大なる恩義に報いるために遺志を継ぎ、福沢の創立した慶應義塾大学に医学部を創設し初代医学部長・付属病院長となる。

新設の医学部の教授陣にはハブの血清療法で有名な北島多一(第2代慶應医学部長、第2代日本医師会会長)や赤痢菌を発見した志賀潔など北里研究所の名だたる教授陣を惜しげもなく送り込み、柴三郎は終生無給で慶應義塾医学部の発展に尽力したという


又、明治以降多くの医師会が設立されたが、一部は権威争いで反目しあうなど、ばらばらであったが1917年(大正6年)、柴三郎は全国規模の医師会を統合し初代会長となって大日本医師会が誕生する。
その後、医師法に基づく日本医師会となり、柴三郎は初代会長としてその運営にあたっている。
昭和6年(1931)死去するまで終生わが国の公衆衛生、医学教育、医療行政の発展に多大な貢献をしたのである。


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