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2017-10-14(Sat)

平成日本紀行(197) 城崎 「城崎温泉」(3)

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広く旅をし、方々を遍歴したものだけが、知識という名の富を有している。」(詩の神・オーディン)




平成日本紀行(197) 城崎 「城崎温泉」(3) .



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資料:城崎温泉概略図




http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/ss-143.jpg
城崎温泉駅


城崎温泉(きのさきおんせん)は、平安時代から知られている温泉で1300年の歴史をもつといわれ、飛鳥時代にコウノトリが傷を癒したという伝説が伝わっている。 

又、8世紀初頭の養老年間、道智上人が千日の修行を行った末に湧出したのが城崎温泉の始まりともいわれる。(現在の外湯・「まんだら湯」) 上人は「温泉寺」の開山僧でもある。

温泉寺は由緒ある古刹で、「鴻の湯」の向かい側、薬師橋を渡ったところに参道・山門があり、大師山の中腹に位置する本堂の他多宝塔などが建つ。 
ここには大師山へのロープウェイが架かり中間駅に「温泉寺駅」がある。 
大師山山頂からは温泉街はもとより、円山川の緩やかな流れとその先に広がる日本海の見事な景観が眼下に広がる。


城崎温泉は江戸時代には「海内第一泉・かいだいだいいちせん:日本一)」とも呼ばれていて、今もその碑が湯の町中心街、王橋のたもと外湯・「一の湯」として残っている。 
一の湯は江戸時代の頃までは「新湯(あらゆ)」と呼ばれていたが、医師・香川修徳が泉質を絶賛し、「海内一」の意味を込めて「一の湯」に改名したともいう。

温泉の目玉は昔ながらの外湯めぐりが主体で、外湯はそれぞれ守護神を持ち、温泉を神の恵みとした敬虔な信仰心として崇め、それに元ずいて湯浴みを行ったという。 一の湯の他に「鴻の湯」、「まんだら湯」、「御所の湯」、「地蔵湯」、「柳湯」、「さとの湯」 の七箇所、其々工夫を凝らし特色を出している。

江戸時代の温泉番付によると城崎温泉は西の関脇(最高位は大関)にランクされ、山陰の名湯とされていた。 


温泉街の各所に多くの碑があるように、文人墨客に愛された湯の街であり、明治以後も「城の崎にて」を書いた志賀直哉をはじめとする多数の文豪が来訪している。

手ぬぐいを さげて外湯に 行く朝の 
          旅のこころと 駒下駄の音
』 与謝野 寛

ところで、志賀直哉の「城の崎にて」の城崎が消えてしまった・・!!??、
城崎町は2005年、周辺の竹野町・日高町、出石郡出石町・但東町と対等合併し豊岡市になってしまったのである。

この度の「平成の大合併」で日本国中の由緒ある町村名が消えてしまった事例が多い。
西の大関と言われる大分・湯布院町(由布市)であり、関脇が城崎町(豊岡市)であり、 東北の小京都・角館(仙北市)、焼物の里・あの狸でお馴染みの信楽(しがらき・甲賀市)、いずれも屈指の観光地であったが、あっさりと消えてしまったは惜しいことである。

東の大関は静岡・修善寺(伊豆市)、名作・「伊豆の踊子」も形無しであり、同じく静岡のサッカー王国、清水の次郎長でお馴染みの清水市(静岡市)、関脇は上州の歴史ある温泉場・伊香保(渋川市)、他にも、日本一のブドウとワインの産地・勝沼(甲州市)、日本のエーゲ海と言われた岡山・牛窓町(瀬戸内市)と、懐かしい市町村名なども失われていて、 他にも無数にあるという。

「地名」には、歴史的背景や地勢的由来などの謂れがあるのだが、住民の浅はかな興味本位の投票と、行政諸氏の石頭連が何の惜しみも無く、かなぐり捨ててしまうことは残念である。




早朝目覚めたので朝飯前に今一度、写真撮影方々温泉街を訪ねてみた。
先ず最初に駅前に出る。 古い温泉地のわりにはモダンな駅舎で「城崎温泉駅」という。 京都発着の山陰本線は福知山

、豊岡と内陸からやってきて、ここ城崎から概ね山陰地方の沿岸を辿りながら終着の下関に至っている。
2005年4月1日に城崎町が隣の豊岡市と合併したことに伴い、2005年3月1日に「城崎駅」から「城崎温泉駅」へと改称されたらしい。 

さすがに合併によって由緒ある自治体名である「城崎」が消える危機感を感じ、城崎ブランドを守るため地元有志・議会などの要請により,旧城崎町が経費を全額負担して「城崎温泉駅」が実現したという。 
この「城崎温泉駅」は第一回近畿の駅百選にて、第14位の選定駅であるという。

因みに、駅百選というのは、「鉄道の日」(明治5年9月12日(新暦1872年10月14日)に、新橋駅と横浜駅とを結んだ日本初の鉄道が開業した事を記念したもので、1922年に鉄道記念日として制定された)記念行事の一環として、2000年から2003年までの4年間で、国土交通省近畿運輸局管内(京都府、大阪府、滋賀県、兵庫県、奈良県、和歌山県)の特徴ある駅を公募等で募集し、選考委員会で100駅を選定したものである。 



駅前にお寺のお堂を模した豪奢な造りの吹き抜けの建物の「足湯」である。 
ここで目覚めの顔、手足を洗う。 その奥に日本最大の駅舎温泉「さとの湯」が城崎温泉街の外湯の一つとして機能しており、無料で利用できる足湯で、電車の待ち時間をゆったりとすごすことができるのは嬉しい。

役場である城崎支所には「温泉課」という窓口も有るという。




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城崎温泉の極楽寺参道



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参道横の元湯





湯の町の朝は早い・・!、

すでに観光客・泊客は朝7時開湯の外湯を目指しているようである。
大谿川にかかる柳の緑が朝風に、ソロリと揺れている、又、湯の里通りの瀟洒な家並みに朝日が当たり始めた。 

温泉街の外れ、突き当りの月見橋を左折すると西山公園があって、この先に極楽寺がある。 ここにも城崎温泉の元湯があり、露出した岩肌の間からモウモウと湯蒸気を上げている、看板に28号源泉とあった。 

何処かの旅館の女将であろうか、品の良さそうな粋な和服姿で参道からこちらにやって来る。軽く黙礼を交わしすれ違った。 

松林が覆う長い参道の奥に本堂らしき重厚な建物が目に入る。 
極楽寺は京都・大徳寺の末寺で江戸・寛永年間、沢庵和尚により再興された禅寺という。 
境内は禅寺らしく、白砂で心の文字が描かれた枯山水の庭園・「清閑庭」や城崎温泉の開祖である道智上人が、独鈷(とっこ・仏具)といわれる仏具で岩の壁をたたくと湧きだしたと言われる「独鈷水」等がある。 

予約すれば座禅や法語の修行を行ってくれるらしい。
そろそろ人の往来も目立つようになったところで戻るとしよう。


次回は、・「丹後の国・与謝野

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2017-10-14(Sat)

平成日本紀行(197) 城崎 「城崎温泉」(2)





平成日本紀行(197) 城崎 「城崎温泉」(2) .




 http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/ss-141.jpg
風流な大谿川を挟む温泉街界隈・・、




城崎温泉にて・・、

志賀直哉が、「城の崎にて」の冒頭に、「山の手線に跳ね飛ばされて怪我をした。 
その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出掛けた」と記している。 

著者自身、鉄道事故で九死に一生を得た彼はその後、怪我の養生のために城崎温泉に滞在している。 そ
の時の体験が、小動物の死生観に重ね合わせて描いたとされる「城の崎にて」の短編である。 
末尾には、「生きている事と死んで了っている事と,それは両極ではなかった。
それ程に差はないような気がした。」と結んでいる。

“小動物の死生観て・・??”、
小動物も人間も、同じ地球上に生を受けた「物」として、生死の価値はあまり変わるものではない、というところか・・?。

志賀直哉(しが・なおや 1883-1949・宮城県石巻生まれ)が「城の崎にて」を書いたのは、ここにきてから東京へ戻った4年後のことであった。 
それだけに「城崎温泉」の印象が鮮烈だったのだろう。

大正2年、志賀直哉は初めて城崎を訪れた。 
東京・山手線の電車にはねられて重傷を負いその後養生のために3週間滞在したという。



谷合いに、「くの字」にひらけた湯の町で、温泉に浸かり、ぶらりと町を歩く。
川沿いの柳が芽吹き、桜が花開く。 

夕刻ともなると和風木造の旅館街にぼんやりと灯が入り、外湯を巡る浴客たちの下駄の音がなつかしい。 
志賀直哉の定宿だった「三木屋」は、湯の町・城崎でも一段と奥まった大谿川(おおたにがわ)の畔、雰囲気漂う“木屋町通り”の一角に三階建ての純和風の建物である。 

かって、三木屋のご当主は町長もつとめたという。  
志賀直哉は生涯に十数回この地を訪れていて、「 温泉はよく澄んで湯治によく、周囲の山々は緑で美しい。おいしい日本海の魚を毎日食膳に出し、客を楽しませてくれる。 」と手記に記している。


小生は、1986年(昭和61年)子供及び両親を伴って、北陸、山陰を巡った際に城崎を訪れている。 
宿泊した旅館は当時NTTの保養所で「城崎荘」であったが、現在は、NTT民営化による合理化にともなって民間に譲渡されているようである。 
それでも城崎荘は、現在でも立派に営業をされているようで、場所は奇しくも三木屋の隣に位置しているようであった。 
当時は慌しい旅程であったが、この風流な温泉街の印象は今も残っている。
  


城崎の温泉街は大谿川の流れに沿って軒を連ねる。 
その町並みは木造建築の旅館がほとんどで落ち着いた本来の日本情緒を醸し出している。 
平安期・1300年の歴史に裏打ちされた格式を感じさせる日本でも数少ない温泉街であろう。

大谿川を中心に、約100軒の旅館や土産物屋、飲食店が並ぶ、これらは昭和初期の温泉街の情緒が今でも残っているのである。 
川には弁天橋、桃島橋、柳湯橋と名の付いた弓形の石橋がいくつも架けられ、両川端には柳の並木が一層、旅心を誘うのである。

頃合になると湯の町は華やいで、観光客や酔客が浴衣や丹前に着替え、各旅館には温泉浴場が有るにも関わらず、その風情に誘われるように外湯へと導かれるのである。 
浴衣がけに下駄履き姿の旅の客が外湯巡りにそぞろ歩く、カランコロンと下駄の響きも軽やかに外湯にくりだす光景は城崎独特の風情で哀愁さえ感じる。 

大谿川に架かる石造りの太鼓橋に目をやれば、浴衣を羽織って佇む若い女性の姿がボンボリの灯りに照らされて艶かしく、しなやかに垂れ下がるしだれ柳は湯の町の女性の色香を悩ましいほどに引き立てているのである。
中でも大谿川にかかる石造りの太鼓橋は、両岸のしだれ柳とともに城崎を形容するシンボルでもあろう。


次回も、更に「城崎温泉」  


2017-10-13(Fri)

平成日本紀行(196) 香住 「香住海岸」 

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広く旅をし、方々を遍歴したものだけが、知識という名の富を有している。」(詩の神・オーディン)




  平成日本紀行(196) 香住 「香住海岸」    。





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香住海岸のインディアン島




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香住港(冬のカニ漁も終わり、静かな佇まいである)






餘部をすぎて、香住の海岸も相変わらず山地のせまった半島を形造り、所謂、「おぼれ谷」(水位の上昇、又は陸地が沈降して出来た地形)や海食崖といわれる出入りのはげしい海岸線が続いている。 

鎧の袖」、「インディアン島」と称する奇妙な名前の奇岩・怪岩をはじめ、無数の洞窟、断崖、奇岩が連なる。
これら侵食海岸の風景を演出する景勝地は、地質学の上からも貴重な自然博物館ともいわれる。  多くの名勝をつくり出しているこれらの海岸は、香住東港から出ている遊覧船に乗って、海上から巡るのが実にいいらしい。


時折、小さな港へ出くわすと、出番を待つイカ釣り船が岸壁に並んでいる。 
これらの海岸には東より相谷、柴山、香住、鎧、余部といった鄙びた諸港が並び、いかにも日本海側らしい長閑で、いい風景を醸し出している。 

中でも香住港は、日本海側における有数の漁港・港湾となっていて、特に柴山港と二港合わせて「松葉かにの本場」と言われ、漁獲高でも境港港についで2番目という。 
もっとも、今は6月の半ば(2005年)であり、カニ漁の最盛期はとっくに過ぎていて、港はいたって長閑である。


因みに、日本海で獲れるカニは通称和名で「ズワイガニ」と言うが、それぞれ水揚げされる場所で呼び名が変わるらしい。 
兵庫・鳥取県は「松葉がに」、京都府では「間人(たいざ)がに」(京都北部の丹後半島の間人港〈たいざこう〉にて水揚げされるもの)、福井県・石川県では「越前がに」とも言う。 

これら地場の沖合の海で捕れた「ズワイガニ」のブランド名で獲れたカニは漁獲量も少なく、北海道や外国で捕れるズワイガニに比べ、極めて高値で取引されるという。 
価格は、通常で1枚一万円前後であるが、1kg以上の特特大にもなると数万円にもなるという。 

カニ漁は冬の時期が本番で、日本海に面する温泉場の旅館や宿では新鮮なカニ食を求めて大勢の観光客で賑わうという。



荒々しくも、鄙びた漁港の「香住海岸」を後にして、こちらは海岸に寄り添うように市街地が並ぶ。
竹野という町並みで、砂浜が延びる穏やかな海岸線は先ほどとは対称的で美しい。 

日本の渚100選にも選ばれ、砂浜は海水浴場としても、この地方の人気のスポットのようである。 
竹野は、昔は交易で栄えた町で、江戸期には日本海を巡る北前船も寄航した港であった。 
この先に一級河川の大河・丸山川が流れ、そこには歴史のある「城崎温泉」があって船乗り達は船を円山川に着けて、身に付いた潮を城崎の湯で洗い落としたにかもしれない・・?。 

円山川には城崎の反対河岸に当たるが、今でも楽々浦湾(ささうらわん)という程よい船着場もある。
その竹野は、2005年(平成17年)4月に豊岡市、出石町、但東町、城崎町、日高町などと合併し、新たな豊岡市が発足して町名は消滅している。 
そして、城崎温泉へ向かう。


次回は、「城崎温泉

2017-10-12(Thu)

平成日本紀行(195) 餘部 「餘部鉄橋」 (2)




平成日本紀行(195) 餘部 「餘部鉄橋」 (2) .





 https://www.tumori.nu/rail/amarube/bridge-1.jpg
写真:餘部鉄橋(手前が餘部駅)


https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/e/ee/AmarubeBridge3.JPG/220px-AmarubeBridge3.JPG
トレッスル橋といわれる橋下の橋架部


http://www.town.mikata-kami.lg.jp/www/contents/1492670880767/simple/170821163633_1.png
写真2:新鉄橋イメージ(観光協会)





餘部鉄橋の架け替えの議論・・!

列車転落事故により運行基準を強化した結果、風速20㍍で列車を止める措置がとられ、その為、冬の観光シーズンを中心に年間250本もの列車が風のため運休・遅延する事態となっているのが現状という。 

その為、定時運行が困難となった事を契機に、現鉄橋の南側にPC橋(コンクリート橋)を新たに設置する計画が浮上した。 
以後、余部鉄橋は定時運行、高速化を目指した「架け替え」か、景観維持を優先させる「存続」かで揺らぎ続けているという。 


PC橋では風速30mまで運行可能な設計とされており、また保守も容易なことから、JR西日本では出来る限り早い着工を目指しており、既に平成14年には、新橋新設案が余部鉄橋対策協議会総会で決議され、新しいコンクリート橋への架け替え計画が決定をみていたのであった。 

2007年春(予定) 新橋架替工事着手、2010年 には新架橋工事完了が予定 しているという。
しかし、地元の一部には景観存続を望む声が今も根強く、観光客や地元住民からは現在の鉄橋が無くなる事を惜しむ声が後を絶たたない。 

地元からは、新しいPC橋が観光資源となり得るかどうかについては、疑問の声も多いという。 コンクリート橋脚の工事はいずれ始まるが、完成後にこの「東洋一の名橋」は撤去されるのか、一部は残るのか、未だ不透明だという。



【追伸】、架替工事は2007年5月に着工、2010年度の完成にむけて着々と工事は進められている。(長さ約307m、高さ約42m、)




最近、旅行ブームなのであろうか・・?、

テレビ放送で鉄道を利用した旅行番組などが多く、北は北海道から南は九州まで、全路線を乗り継いで行く旅番組などもNHKで放送された。 
又、「汽車旅放浪記」などという本も出版されて人気を呼んでいる。 
鉄道といえばやはり郷愁を感じるのも確かである。 


私事になるが、小生、学生(列車通学の高校生)の頃は、福島県の田舎である常磐線にはまだ悠々と蒸気機関車が走っていた。 
湯本駅から平駅へ向けて定時に発車した蒸気機関の列車は、ゆっくりと動き出した。 
小生は慌てふためき、定期券を見せる間も惜しんで発車したあとを後ろから追い掛けていって乗り込んだのも度々であった。 
駅員も承知したもんで、「気を付けてノンなよ・・!」と、のんびりしたもんであった。 
その後ジーゼル化され、更に数年後には電化されてスピードアップされたが、その発車間際の加速度的速さに、びっくりしたのであった。
 


汽車好き、鉄道好きは昔からいて、普通、小さな男の子は大抵乗り物好きであった。 
高じて大人になっても鉄道好きは変わらない御仁が多いようである。 

鉄道事情が大き変わりつつある、或るいわ大きく変わった今日、又、運行列車の変遷が目立つ昨今、全国の鉄道ファン、鉄道マニアは大忙しであろう・・!。 

濃厚な鉄道マニアのことを、「鉄ちゃん」などと言われ、又、汽車、列車などの写真好きを「撮ちゃん」とか「撮り鉄」などと称しているようである。 

中には、「撮り鉄」の熱が高じて線路間際に寝転んでカメラを向け、特別運行のSL列車を止めてしまった、などという極端な事例もあるという。


ところで、どの線でも列車が美しく撮れる場所は大方決まっているという。 
高くて長い、しかも鋼鉄製の骨組みで出来ている餘部鉄橋などは、今、恰好の標的になっていて、カメラマンが引きもきらないという。 

餘部鉄橋ポイントは駅からさらに登った高台であるが、そこは「撮り鉄」たちの集団で踏み固められ、今では草も生えないといわれるほどである。


次回は「香住


2017-09-26(Tue)

平成日本紀行(194)浜坂 「温泉町」




 平成日本紀行(194)浜坂 「温泉町」   、



 http://www.hamasaka.gr.jp/gaiyo/igumi.jpg
山陰の鄙びた漁港・「居組港」の美景



鳥取砂丘から福部村、岩美町の海岸沿いを行く。
国道9号線は山口・下関を出発して以来、主に山陰を巡ってきたが、ここ鳥取市域を過ぎて間もなく内陸へ向かい京都に達している。 
小生は引き続き、沿岸道の国道178号線を走ることになる。


それにしても海岸線が美しい・・!。
岩美町の海岸は「浦富海岸」(うらどめかいがん)と称して、自然が彫刻した岩と白砂青松の海岸美は、文豪の島崎藤村も絶賛した景勝地として知られている。 
山陰の松島」と呼ばれ「日本の渚百選」、「平成にっぽん観光地百選」にも選ばれている名所である。 
約15kmにわたって続くリアス式海岸は変化に富み、西部には海食や風食によってできた奇岩、洞門、断崖絶壁が点在している。 

緑の老松がおいしげる千貫松島、菜の花が一面に咲き乱れる菜種島など、奇岩や断崖は迫力満点であるという。 
浦富海岸のなかでも、特に絶景地とされるのが環境庁の海中公園地区にも指定されている城原海岸で、その幽玄な美しさから神秘の霊境とされ、文豪の島崎藤村がこの地を訪れたとき、「松島は松島、浦富は浦富」と絶賛したという。 
浦富は文字どうり「浦が富んでる地」である。



道路標識は、これより「兵庫県」とあった。
リアス海岸の高所から小さな港へ向かってヘアーピンカーブを曲がりながら下りてゆくと居組の港である。 

三連に並んだ坊主山・・?、のような島が港に浮かび景観を造っている。
もし、好事家が「日本港100選」を選ぶなら、この地は選ばれるに違いないだろう。 
適度の広さで砂浜が広がり、その奥には小さな灯台のある防波堤が左右に続き、漁船の着く市場がある。そして防波堤の上に見える絵に描いたようなお椀型の小山が三つ並ぶ。 

この風景は、一見の価値がある・・!!


間もなく浜坂町に至ったが、この地も山陰地域での有数の温泉場である。
浜坂温泉郷は国民保養温泉地としての指定を受け、一般家庭や旅館・民宿、町営住宅など、ほぼ全戸数に配湯されているという。 
その為であろうか、環境庁(現 環境省)より国の省エネルギー・モデル事業の全国第1号に指定されている。 

又、浜坂温泉郷は近隣にある七釜温泉(しちかまおんせん)、二日市温泉(ふつかいちおんせん)、浜坂温泉(はまさかおんせん)の三つの温泉の総称であり、2005年10月に浜坂町と内陸に接している「温泉町」とが合併して「新温泉町」が発足するという。

「温泉町」は、山郷の温泉・湯村温泉からその名が付いている。 
平安時代初期に開湯したという古い歴史があり、山峡に佇む閑静な湯治湯として親しまれている。 

「湯けむりの郷」とも称し、1981年のNHKドラマ「夢千代日記」のロケ地として、その風情が全国に知られるようになり、以来「夢千代の里」とも称しているようだ。

行政名が旧、新とも「温泉町」という形容的で、やや大様な名称であるが、形容イコール実態ということで納得であろう。 
気が付けば小生の実家のあった地名も、旧名は福島県の「湯本町」であった。



更に、これより東の海岸は山陰海岸国立公園に指定されていて、国の名勝天然記念物・「但馬御火浦」という名所もあった。 
但馬御火浦(たじまみほのうら)は、香住町と浜坂町に跨る香住海岸の伊笹岬から浜坂海岸の観音山の間の約8kmの岩礁海岸を云う。 

日本海の荒波により彫刻された断崖絶壁、洞門、柱状節理・岩脈、岩礁が連続する岩礁海岸と島々の景勝地で、中でも世界最大級の洞門「釣鐘洞門」は特に著名である。 

国指定の名勝・天然記念物でいずれも山陰海岸国立公園に属する。  
次は間もなく、あの「餘部」であった。


次回は、「餘部」  、
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