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2015-08-30(Sun)

近畿地方・淡路洲本 「稲田騒動・Ⅳ」






  近畿地方・淡路洲本 「稲田騒動・Ⅳ」   、




中央集権国家は固まり、明治5年「全国徴兵令」の発動、6年には「地租改正」という税制改革、学校制度の発令等々、改革的事案が速やかに実行された。
この間、初めて新橋~横浜で鉄道が走り、これを期に阿波・蜂須賀氏や元藩主による「鉄道公団」が発足し、鉄道敷設等の産業改革も着実に進む。 
始め藩主(知藩事)達は廃藩に反対していたが、先の戦争で藩財政は何処も困窮していたため、結局は承服せざるを得なかったという。 
藩は、全国におよそ300存在し、それらの藩主を云わば一様に「クビ」にし、中央が派遣した「県令・権令(権令の方が格が低い)」をその知事に任命した。
3府75県(後に少しずつ変化して行く)に振り分けられ、これによってクビになった藩主と家臣団である士族らは一斉に失職したのである。

そのころ士族とその家族らは全国におよそ190万人いて、当時の日本の人口を3千万人とすると、6.3%の人間が職を失った事になる。 これらの元藩士・家臣達は農耕、殖産、兵役や移民団の開拓へと道を開いていったのである。 
中には不平士族が反乱を起こす「佐賀の乱」(1874年、江藤新平を首領に起きた)や「西南戦争」(1877年、西郷隆盛を首領に掲げた薩摩軍と政府軍の間で戦われた日本史上最後の内乱)に到った事例もあるが。


明治3年、版籍奉還がもとで起こった庚午事変の結果、北海道静内郡と色丹島の開拓を命ぜられた藩主・稲田邦植以下137戸、546人の旧家臣たちは、三隻の汽船に分乗し洲本港を出発する。 
春まだ浅い北海道の海岸に到着し、ここに淡路・稲田藩士による北海道・静内町の開拓の歴史の第一歩が刻まれたのである。

船田 馨作品のヒロイン・「お登勢」は、この時期、稲田藩士・津田貢と所帯を持ち、北海道移住を二人で決意する。
移住には困難が伴い、先行きに暗い影もある中で希望を捨てないお登勢の強い心に貢は励まされる。物語は、稲田藩士とその家族が新天地を目指すところで終わる。

又、北海道・静内町の開拓の歴史、稲田家家臣の壮絶な開拓者魂を主題にした映画「北の零年」が昨年製作された。これは製作費15億円を投じて、長期ロケを敢行、豪華キャストに加えて延べ7000人のエキストラなど、すべてが近年の日本映画の常識を打ち破る文字通りの『大作』と言われる。 
キャストに、吉永小百合、渡辺兼、豊川悦司、柳葉敏郎、石原さとみ、香川照之、石田ゆり子、他名優多数、本年、2005年1月大公開された。

又、船山馨の時代小説「お登勢」はこの時代、ここ淡路・洲本を背景に描いているが、この「お登勢」がNHK金曜時代劇で、沢口靖子主演で昨年秋TV放映されている。
お登勢」と「北の零年」は登場人物こそ異なるが、まるで「お登勢」の続編を描いているようでもある。 
小生は、残念ながらNHKの「お登勢」は拝見してないが、ヒロイン・沢口靖子が吉永小百合に成り代った様である。 
尚、この記述に関しては、前編の「日本一周・東日本編」の北海道・静内の項でも記載してある


日本一周」: :http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/
北海道・静内」: :http://outdoor.geocities.jp/n_issyuu2005/d-11-4.htm


次回は、福良と「大鳴門橋




 

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2015-08-30(Sun)

近畿地方・淡路洲本 「稲田騒動・Ⅲ」 





  近畿地方・淡路洲本 「稲田騒動・Ⅲ」   、





「版籍奉還」、「廃藩置県」とは 、

戊辰戦争終結後、勝者の官軍であった薩摩、長州を中心とした新政府が曲がりなりにも誕生し、天皇を中心とした親政政治がスタートする。
なにしろ、朝廷政治が行われていたのは平安時代であり、それ以来で実に700年ぶりの朝廷政治である。 その間は源頼朝の鎌倉幕府から徳川幕府の、所謂、武家を中心とする政治が行はれていた。 

平安期と明治の最大の違いは、外国事情を知った明治人が、外国と互して強固な国土を造ることだった、つまり富国強兵であった。 その為には中央の政権が強力でなくてはならず、封建政治(封建制度・天皇の下に、多くの諸侯が土地を領有し、諸侯が各自領内の政治の全権を握る組織)から天皇を中心とする中央集権国家の造営であった。 

先ず、明治2年(1869年)、中央集権を促すために全国の各藩主が旧来領有していた土地と人民とを朝廷に返還する、即ち「版籍奉還」のことで、わが国、封建政治を終結させる大変革を行った。 これは、次に行うべき「廃藩置県」の前提でもあった。

薩摩、長州、土佐、肥後の四藩が実施し、次に徳川家も同じように行っている。
しかし、版籍奉還後も旧藩主が知藩事となり、世襲制などの封建制度が存続していた。 そのため此れを更に打破すべく薩摩の西郷、大久保、大山、長州の木戸、山県、井上ら7人が中心となって合議し廃藩置県を押し進めよとしていた。
新政府出仕の主要な人物たちは皆往々にして下級武士の出であった。西郷や大久保の上に立つ、薩摩の島津久光は強固な封建主義者であり、これらを実施することは不忠者の汚名を着せられ、後々まで久光に頭の上がらないのは必定であった。

当時の武士たちにとって不忠の汚名ほど心理的に苦しいものはなかったのである。
ここで西郷は「私情においては忍びがたいが、廃藩は天下の趨勢である。地元については、わしが全責任を持つ、おはん等は粛々と進めよ」、この一言で策は決した。
これによって7人は廃藩置県を奏上し、天皇詔書(みことのり)により勅令は発せられ、1871年(明治4年)、廃藩置県は施行された。
明治維新の一大画期であり、一種のクーデターとも言われる。 
各藩においては、意外と騒動らしいものは無かったらしいが、薩摩藩だけは久光公が花火を打ち上げ、最後の抵抗と意義申し立てを行ったともいう。 
諸外国も日本の変革を知り、大いに驚きながら歓迎したという。


更に次回へ続きます






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2015-08-29(Sat)

近畿地方・洲本 「稲田騒動・Ⅱ」(庚午事件)




 近畿地方・洲本 「稲田騒動・Ⅱ」 (庚午事件)  





稲田藩の渦中で時代に翻弄されながら、けなげに強く生きた女性・お登勢





b>明治維新と庚午事件(こうごじけん)について 、

時代は遡るが戦国期、豊臣秀吉によって天下は、ほぼ治まった。 
秀吉の重臣であった蜂須賀氏は四国攻めに功が有ったとして、阿波の国(徳島)一国(石高・17万5千石)を与えられる。秀吉と蜂須賀の関係は、彼が幼名「日吉」の頃、矢作川で出会って以来、終生子分になることを誓っていた。(蜂須賀小六、太閤記) その蜂須賀小六の重臣に稲田氏がいた、重臣とはいっても小六とは義兄弟の間柄だったという。二人はともに豊臣秀吉のために戦い、大いなる功績を残す。秀吉は、やがて蜂須賀家を主とするようになり、稲田家はその客分として従属させた。しかし、稲田にしてみれば「わしらは蜂須賀とは同僚であっても家来ではないぞ」、という気概と気分が最初からあった。 その後、江戸期になってからは両家は相反目しあうようになり、それからの長い歳月が経って、やがて明治初期の稲田騒動につながってゆく。

この時期、蜂須賀家は阿波16万石になっていて、その城代家老としての稲田氏は1万4千を有し、所領として淡路・洲本城代に任じている。稲田家は瀬戸内を中心に豊かな経済力をもち、また貴族や公卿とも縁組をするなど、その地位を高めていた。 
又、蜂須賀家は徳川家と縁組を持ち、松平家を名のるほど近親の間になっていた。(2代目松平阿波守至鎮・よししげ以降は松平を名乗る)
江戸末期、尊皇攘夷の風が吹く中、稲田家とその家臣は積極的に尊王攘夷派の運動に参加していった。 蜂須賀家は、徳川家を中心とした公武合体論に終始する。 稲田家は、維新戦争の際にも多数の人員を派遣し、明治維新には大きな功績を残したはずであった。 このような因果で、両家は更に確執を生ずるようになる。

明治政府は明治2年、版籍奉還、廃藩置県を実施した。 
特に武士の身分を士族と卒族(平民)に分け、俸禄も減じられた。 
稲田家は元々蜂須賀家の家臣だった為、その減額は甚だしく、稲田家臣は死活問題であったため、士族への編入を嘆願するとともに稲田家の分藩独立運動を起こした。 
これに堪りかねた蜂須賀家の一部の過激派が決起し鉄砲、大砲を持ち込み洲本城の攻撃を始めるなど、一大紛争を巻き起こした。 

明治政府は仲裁に乗り出し解決に至ったが、その決断・判決は両者に厳しいものであった。 蜂須賀・徳島藩側主謀者には10人に切腹、八丈島への終身流刑27人、その他禁固、謹慎など多数に及んだ。(武士社会に於ける、最後の切腹事件といわれる) 
又、稲田家側は、朝廷から主人の稲田邦植以下、家臣全員に北海道の静内郡と色丹島(後に返上、現北方領土)への移住開拓が申し渡された。 
勤皇派で、明治維新に大いに貢献した稲田家にとっても過酷な内容であった、だが見方によっては両家の怨恨を無くする為に遠ざけた結果とも云える。この事件を庚午事変(こうごじへん・稲田騒動)と称してる。
 

更に次回へ続く、




 

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2015-08-29(Sat)

近畿地方・洲本 「稲田騒動」 





 近畿地方・洲本 「稲田騒動」  、










淡路文化資料館前に立つ「お登勢」の像




幕末の動乱・稲田騒動(庚午事件)について 、

国道28は、淡路東浦海道、四国海道ともいう。 
淡路島から大阪湾の航路要地でもある「津名」の港を通り、淡路の本拠である「洲本」を目指す。 
やはり淡路島の中心だけあって、街の様子も一味異なるようである。
洲本川の洲本橋を渡り、海岸へ向かうと大浜海岸の多数の老松に囲まれた風光明媚な場所に出る、大浜公園と隣接する大浜海水浴場が広がる。

一角に淡路文化資料館があった、ここはかって江戸期に洲本城の平城が在ったところで、往時の小さな石垣も見られる・・?、この正面入口に「お登勢」の像があり、下駄履き姿で水桶と柄杓(ひしゃく)を持ってニッコリ笑っている。その横に「庚午事件とお登勢」と題して、解説入りの石版が建ててあった。  

「お登勢」は、実在の人物かどうかは不明だが、(幕末期の寺田屋の女将のお登勢は、坂本龍馬をはじめとする幕府から睨まれていた尊皇攘夷派の志士たちを保護した女性として知られるが、同名だが当然異なる・・?)作家・船山 馨の近時代小説『お登勢』は・・ 、

淡路の貧しい農家に生まれたお登勢の、けなげでひたむきな生涯を、幕末から維新へと時代が大きく変わる歴史のうねり(明治維新と庚午事件)とからみ合わせた、ダイナミックな歴史ロマンとして描いている。 この時代の女性は、その時代的制約からどうしても受け身であり、耐えることを強いられることが多いが、この船山作品の主人公であるお登勢は、恋する人との身分の差をどうしようもなく感じながらも、自分の心に忠実にひたむきに行動してゆく。 
資料館に立つ「お登勢の像」は、幕末の淡路・稲田騒動のヒロインとして建立されている。


次回へ続く、




 

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2015-08-29(Sat)

近畿地方・淡路島 「東浦地区」 






 近畿地方・淡路島 「東浦地区」 





神戸淡路鳴門自動車道





道の駅・東浦ターミナルパーク(以上Wik)





神戸淡路鳴門自動車道というチョット長ったらしい名称の有料高速道路を、すぐ隣の淡路ICで下りて国道28号を行く。 
朝日に輝く大阪湾を久しぶりに眺めながら、長閑(のどか)な海岸道を進む。 
現在、東浦町を走っているはずであるが、2005年4月1日、淡路島の北端から中央部にかけて位置する淡路町、津名町、北淡町、一宮町、東浦町の5町が合併し「淡路市」が発足している。

暫くすると広大なパーキングのある「道の駅・東浦ターミナルパーク」へ着いた。 今は時間も早く、閑散としている。 駅舎は大きな和風建築で白壁の瓦屋根は珍しく、未だ真新しい。 こちらは物産館、その他の施設であろう、ここもひっそりと人の気配は無い。この道の駅は大阪湾に面した温暖な気候で、阪神圏の行楽地として人気があるという。 
夏の海水浴をはじめ、四季を通じて花の美しさを実感できるのがうりで、海水浴場、ガーデニングセンター、パターゴルフ場、文化ホール(図書館含む)、等もあり、浦海浜公園・浦県民サンビーチは、平成13年認定の「日本の水浴場88選」(環境省)にも選ばれているとか。


東浦地区の東隣の北淡町地区は、阪神・淡路大震災のほぼ震源地にあたり、「野島断層」が露出しているのが見てとれるという。 ここに野島断層保存・北淡震災記念公園があり、学術的な価値をもつとして認められ国の天然記念物に指定されている。
又、この断層は日本国内はもとより、外国からも大きく注目されているという。

震災直後の平成7年1月31日、天皇・皇后両陛下が御来島の際に、この場所にヘリコプターで来られた。皇后陛下は、被災の状況に心を傷められ、被災者への励ましの意味を込められて詠んだ歌碑が在る。
   
『 被災せし 淡路の島の ヘリポート 
      かのあたりにも よもぎ萌えゐむ
 』  皇后陛下



次回、洲本 幕末の 「稲田騒動





 

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2015-08-26(Wed)

近畿地方・明石「日本標準時・Ⅱ」 





 近畿地方・明石「日本標準時・Ⅱ」  




明石天文科学館(Wik)



明石・日本標準時

ところで、明石といえば気が付いたことがある。現在時刻は『午前7時15分』である。 
これは日本全国、普く(遍く・あまねく)沖縄諸島から北海道、伊豆諸島から南海の小笠原諸島まで共通した時間である。 
では一体、日本国のこの時間は何処で、どの様にして決められるのであろうか・・??、
実は小生が現在立っているこの位置、東経135度の位置・明石の日本標準時で決まられているのである。  

海外旅行に行くと、その土地ごとに違った時刻を使っているのを体験するであろう、「時差」である。 
地球は1日1回自転している、地球から見ると、太陽が24時間かけて地球を360度ひと周りしていることになり、1時間あたりにすると、地球上の経度15度分ずつ動いていることになる。地球上の時間は、地球の自転で決められているのである。そして地球上の時間は、ある基準点で決めねばならない。 

イギリスのグリニッジ天文台を通る子午線が経度を測るときの基準とされている。
これを本初子午線といい、時刻の場合も本初子午線上の時刻を世界の標準時として使用するよう取り決められている。 
そして各地の時間については、基本的に本初子午線から東西に15度離れるごとに、標準時に1時間の時差を加減して定めている。
東に向かう場合は、経度15度ごとに1時間ずつ加えていき、西に向かう場合は15度ごとに1時間ずつ減らしている。 

イギリスと日本では経度(東経)135度あり、9時間の時差が生ずる、つまり、ロンドンが午前0時の時、東京は午前9時に当たるのである。
日本では1886(明治19)年に、世界時(標準時)に9時間加えた時刻となる東経135度子午線上の時刻を、自国の標準時として定めた。それは明治天皇勅令によって決められたといわれる。

◎ 英国グリニツチ天文台子午儀ノ中心ヲ経過スル子午線ヲ以テ経度ノ本初子午線トス
◎ 経度ハ本初子午線ヨリ起算シ東西各百八十度ニ至リ東経ヲ正トシ西経ヲ負トス
◎ 明治二十一年一月一日ヨリ東経百三十五度ノ子午線ノ時ヲ以テ本邦一般ノ標準時ト定ム

日本の場合は、一国内で一つの標準時であるが、アメリカのように大きな国土を持つ国では時間差が大きい為、本土だけで東部・中部・中西部・西部の4つの標準時があり、加えてアラスカとハワイの合計6つの標準時を採用しているという。

日本標準時(Japan Standard Time: 略称JST)は、日本時間あるいは中央標準時ともいい、兵庫県明石市を通る東経135度の子午線で、子午線上にある明石市立天文科学館がその位置に当たる。 
ここには標準時を刻む大きな時計が設置されていたが、1995年の阪神・淡路大震災で破損し停止してしまった為、現在の大時計は3代目で、服部セイコーからの寄贈であるという。


次回、淡路 「淡路・東浦地区」






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2015-08-26(Wed)

近畿地方・淡路と明石 「日本標準時」





近畿地方・淡路と明石 「日本標準時」








兵庫県明石の135度子午線と表示時計タワー(Wik)




明石海峡大橋は本四架橋の三箇所のうち、淡路市(北淡町)と神戸市垂水区とを結ぶ明石海峡を縦断して架けられた吊り橋である。
全長3911m、中央支間1991 mで世界最長の吊り橋であるが、現在計画が進行中のメッシーナ海峡連絡橋(イタリア)は中央支間3330m以上の吊り橋が予定されており、同橋が完成すれば世界一の座を降りることになるという。 
明石海峡大橋の主塔の高さは海面上約300mであり、東京タワー(333m)や横浜ランドマークタワー(296m)に匹敵する。 
1998年(平成10年)4月5日に、供用が開始された。 建設費は約5000億円。建設当初は全長3910m、中央支間1990mであったが、1995年1月17日の阪神・淡路大震災で1m伸びたことは、先に記した。

この橋は四国と関西、更には本州の各大都市間を結ぶ交通としては、最も至近距離にあり、交通量も本四架橋の橋の中では最も多い。 
本州・淡路又は本州・四国間が陸続きになった事で、様々な利点を生じたことは事実であろう。 徳島県・地場産の農水産物の生鮮品を京阪神方面へ即出荷できるようになったともいう。


現在、時刻は午前7時直前で、所謂世間では通勤時間帯である。 
内海は朝もやがかかって、やや見通しは悪いが、大橋の上り方面、つまり明石や神戸方面の通勤と思われるマイカーが数多く見受けられる。 これも架橋の効果の一つであろう。
淡路島から四国へと、本州とは何かしら違った旅路になるはずで、気持ちも浮き浮きしているのが判る。 勿論、体調も十分である、時に「午前7時15分」である。


次回、淡路 「日本標準時・Ⅱ」





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2015-08-25(Tue)

近畿地方・神戸 「阪神大震災・Ⅱ」





 近畿地方・神戸 「阪神大震災・Ⅱ」  









1.17希望の灯り;東遊園地(Wik)




元々日本は地震大国であり、日本の大型建築物は大地震にも堪えうる構造であるとされていたが、ビルやマンション、病院、鉄道の駅舎などで広範囲にわたり倒壊、全半壊が多くみられた。 

特に火災の被害が甚大であった神戸市長田区では、地震直後の火災に伴う火災旋風が確認されたが、消火活動が間に合わず、被害をより大きくする結果となった。 
西宮市においても、住宅街に面した山腹の斜面において大規模な地滑りが起こり、多くの人々が犠牲になった。


三宮駅前に林立する、所謂ペンシルビルと言われる建物は斜めになって、隣のビルに次々寄りかかるという異常な事態になり、新開地近くの金融関係のビル群は座屈、市中を走る「ハーバーハイウェイ」(阪神高速道路)が横倒しになった。 
この凄惨な震災現場は、今度の震災の大きさの象徴的場所でもある。


一方、基礎工事がしっかりしていた最近の高層ビルは、ガラス一枚割れることなく無償であり、神戸大空襲の時に焼け残った昭和初期の建物も殆どが倒壊を免れたとも言われる。
従って、この事象による差異は、ある種の建築手法による人災ではないか、とも囁かれたが・・?

いずれにしても阪神・淡路大震災は、戦後の自然災害史上では最も大きな被害をもたらし、その後の復旧・復興過程を含めた生活への影響は実に甚大でかつ非常に深いものであった。 



戦後の日本社会が経験してきた諸災害と比較しても、被災者が受けた衝撃は余りにも大きく、被害の大きさ(全半壊家屋数、人的被害の大きさ)からも、けた違いの災害であり、被災後の社会的対応という面でも、かってない規模と内容の広がりをみせ、社会的問題が一気に噴き出した。 

それに対する行政、防災関連機関をはじめとする社会のすべてのレベルにおける対応のあり方も問われたのであった。


次回は、「淡路島






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2015-08-25(Tue)

近畿地方・神戸 「阪神大震災」 





 近畿地方・神戸 「阪神大震災」  、




波打つように倒壊した阪神高速神戸線=1995年1月17日午前、兵庫県神戸市東灘区
[時事通信ヘリより時事通信社提供】




山陽新幹線 高架の破損(西区)







神戸が中心だった「阪神大震災」のことである

三宮駅前正面・神戸市役所南側にある東遊園地内に「平成7年1月17日」に発生した阪神・淡路大震災の慰霊と復興のモニュメントがある。 
震災を記憶し、復興の歩みを後世に伝え、犠牲者の慰霊と市民への励まし、大規模災害に対する世界的規模での連帯による復興の意義をアピールすることを目的として、平成12年1月16日に設置された。

このモニュメントを含む東遊園地全体では、毎年1月17日にご遺族やボランティアのみなさんと神戸市によって「阪神淡路大震災1.17のつどい」が毎年開催されてる。 
又、中央区波止場町 メリケンパーク東端、メリケン波止場の一部(約60メートル)を震災で壊れた状態のまま保存しており、 震災の被害の凄まじさを目の当たりにすることができる。神戸港の被災状況や復旧の過程などを紹介してる。


阪神・淡路大震災は、1995年(平成7年)1月17日(火) 午前5時46分52秒、淡路島北部を震源として発生した(大都市)直下型の大地震である。 
淡路島及び阪神間(神戸市・芦屋市・西宮市・宝塚市・尼崎市・伊丹市・大阪府豊中市など)を中心に大きな被害をもたらし、特に神戸市中心部は壊滅状態になった。 
地震による揺れは、阪神地方の一部で震度7の揺れを観測した、戦後国内での最大の震災となった。

大都市を直撃した都市型災害としては関東大震災以来の未曾有の出来事であり、道路・鉄道・電気・水道・ガス・電話など、所謂、ライフラインは寸断され、広範囲で全く機能しなくなった。 
港湾都市である神戸は、神戸港も被害を受け多くの埠頭が使用不能となった。
また埋め立て地を中心に地面が軟弱化する「液状化現象」が見られた。当時、建設中であった明石海峡大橋は、地震の直接的な被害は無かったが、全長が1m伸びるという事態が発生したという。


これらの被害については、死者 : 6,433名
因みに、先の大戦で神戸が空襲などで被災した数は死者7500人、重軽傷者1万7000人と言われ、主に、終戦間際の昭和20年8月に入ってからの数字である。
死者の数こそ戦災の方が多いが、震災は1日の一瞬の出来事である。 如何に神戸の震災が甚大であったかが判る。



 神戸 「阪神大震災・Ⅱ」  




 

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2015-08-23(Sun)

近畿・神戸 「大楠公と湊川・Ⅲ」 






近畿・神戸 「大楠公と湊川・Ⅲ」 










神戸市内の湊川神社




鎌倉時代以降は武家政権が続いたが、明治期になって再び朝廷政治へと戻る。 

明治政府は、皇家の最大の忠臣者・英雄として、湊川の戦いで戦死した「楠木正成」 を祭神とした 「湊川神社」(神戸駅前・兵庫県神戸市中央区多聞通)を創建している。 

東京駅前の皇居外苑には、出陣する姿の正成の銅像が建立され、皇居の守りについている。


神戸は、江戸時代には鎖国政策のもとで外国貿易は途絶えていたが、国内では西廻り航路の北前船や内海回船の国内の要港として栄えた。

だが、江戸末期の1858年(安政5年)、日米修好通商条約により開港が決められた。 
その後、江戸幕府の軍艦奉行であった勝海舟は、海防のため幕臣の教育施設として、

この地に「海軍操練所」を設立、明治維新に多大な功績を残した坂本龍馬が塾長を勤めている。 

これをきっかけに「兵庫港」として開港し、同時に外国人居留地ができ始め、西洋文化の入り口として発展し、「神戸」の名が著名になっていった。 
神戸」(名前の由来は前項で記した)は、勅命により正式に名付けられたという。






 

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