FC2ブログ
2015-10-28(Wed)

海外留学と合わせた海外旅行の自己研鑚





海外留学と合わせた海外旅行と自己研鑚、




夕日に染まる「グランド・キャニオン」




海外留学しながら当地の観光や歴史文化を学びながら巡る・・!、
何と羨ましい限りですが、日本では昔から「可愛い子には旅をさせろ」ということわざもあります。 特に、留学というのは実も知らない他国へ訪問して特別に己の研鑚を施す、ということでもあり、ある種の覚悟と自己犠牲を伴うものでしょう。
併せて、眼と耳と脚で当地の自然や文化を観光しながら学ぶということは、二重の学問にもなり、海外留学する人達には是非に併せて当地での旅や旅行をお勧めしたいことですね。

御当地の観光地巡りも、特に、アメリカ大西部に形造られたグランド・キャニオンは世界遺産の自然遺産にも登録されていて、世界遺産としては其の迫力ある規模といい巨大さや広大さではナンバー・ワンとも言われるそうです。
アメリカの大作曲家・グローフェが作曲した名作・「グランド・キャニオン」としても有名ですが、その大景観は実に素晴らしいの一言に尽きます。 こちらは単なる峡谷というより、その高原における裂け目や岩の形、岩塊が何とも異様というか不思議な形をしていて、岩山や尖塔岩などが入り交じった迷宮のような処でもあります。 数百万年の昔から地球の営みでもあるコロラド川の浸食によって出来上がったものとされ、これらの大峡谷一帯をグランドキャニオンと呼ばれるようになったとされます。

ところで、旅は英語でいう「トラベル」ともいい、トラベルという英語の語源は「トラベイユ」(労苦、苦労の意味)、という意味もあるといいます。 尤もな事で、一昔前までは旅というのは自分の脚で歩いて移動したものであった。
海外留学もそうで、其処には多大な苦労や苦痛がある筈であるが、此れを乗り越えてこそ揺るぎない人間形成が出来上がるもので、旅や旅行、観光も其の一旦であるとも言えるでしょう。


栄 陽子留学研究所>; http://www.ryugaku.com/blog/entry/tabi.html

学生のうちに一度は訪れたい!人生の価値観が変わる5つのスポット by 留学広報部





スポンサーサイト
[PR]

2015-10-27(Tue)

四国の旅・高知県; 土佐の高知 「浦戸湾」 





 四国の旅・高知県; 土佐の高知 「浦戸湾」  ,




(出典; http://mac-factory.com/?attachment_id=1223 から借用)





「日本一周の旅の記録」へリンクします
  

『 みよやみよ みな月のみの 桂浜 
          海のおもより いづる月かげ
 』 

土佐出身の大町桂月が詠う。


裏山の浦戸城趾は戦国の昔、長宗我部元親の居城として四国統一の中心となったところである。

また、山頂には国民宿舎桂浜荘、坂本龍馬記念館がある。 


桂浜を望む龍頭岬の北側対岸は、浦戸湾口を跨ぐ巨大な浦戸大橋で結ばれ、種崎の岬に到っている。




歌でも知られる「浦戸湾」は、入江状になって高知港を形成している天然の良港であるが、現在の浦戸湾は広範囲に埋め立てられ、かなり縮小しているといわれる。 

だが、昔は高知の市街地を含んだ広大な湾域であり、流入河川も多く半汽水湖を形成して、魚の種類も多かったという。


「よさこい節」に言われる、、

『 言うたちいかんちゃ おらんくの池にゃ
           潮吹く魚が泳ぎより
』 


回遊する土佐湾名物の鯨が浦戸湾に入り込んできて、暫しの休息をしながら,多くの餌魚を漁っていた。
こんな風景は、まんざら作り話しでもなさそうである。


次回は、宇佐、「横浪の道

「日本の世界遺産の旅の記録」へリンクします
  




2015-10-27(Tue)

四国の旅・高知県; 土佐の高知 「桂浜と龍馬」 

.



 四国の旅・高知県; 土佐の高知 「桂浜と龍馬」  ,





写真:土佐の高知の「桂浜」


桂浜から大洋を見据える「坂本竜馬像」



 
「日本一周の旅の記録」へリンクします
  

一旦、はりまや橋の大交差点に戻り、今度は右折して県道34号線を、やや浦戸湾に沿いながら「桂浜」へ向かう。途中、「横浜」という地名に出会った。 
神奈川に住む小生にとっては懐かしい名前である。
 
えば、東日本を周遊している時、青森の下北半島の付け根部分にあたる所に「横浜町」というのが在った、たしか、日本一の菜の花の名所と記憶しているが。 
もっとも、横浜という名称はありふれた名で、浜の近辺なら何処にあってもふしぎではないが・・! 



横浜から瀬戸の住宅地を抜けると、突然、太平洋へぶち当たった。標識に従って、左折し、清々した海岸を行くと、間もなく高台の曲がりくねった道より大駐車場へ出た。

桂浜の駐車場で近くには、土産、物産の販売所がある。 
本日、土曜日であるが、朝まだ早いことから車や人影は殆ど無い。岬の先端の石段を下ると、箱庭のような桂浜の風景が目の前に広がった、土佐を代表する名勝・「桂浜」である。


大海原と青くこんもり突き出た岬(上龍頭岬)との配置景観が実に良く、ハートに響く・・!、満月の夜景を想像しながら「月の名所は桂浜・・」に納得である。 

砂浜に整備された遊歩道をゆく、高台の竜頭岬には土佐を代表する志士「坂本龍馬像」が遥か太平洋を望んで、堂々と建つ。




1866年(慶応2)、京都・薩摩藩邸、奥座敷の一室に長州藩代表の桂小五郎(木戸孝允)が控える。 
別室に薩摩藩代表小松帯刀、西郷隆盛、大久保利通が着座して居る。 
竜馬が駆け込んで、西郷に向かって「おはん等、未だ思案しちょるんか、くだらん意地でこの同盟を、この日本を、だめにしてしまうんか・・!!」 大きな目を正視していた西郷は、一時して「分かりもした・・」と言って立ち上がり、別室の桂に歩み寄り、深く頭をたれて「よろしゅう、おたの申す・・」と、遂に、ここに坂本竜馬の努力によって薩長同盟が結ばれ、これが歴史の流れの大きな分岐点となり、倒幕・維新革命への大きな流れを起こすことになる。

後に竜馬は、西郷のことを「西郷は馬鹿だ!!しかし、馬鹿さの幅が分からない、小さく叩けば小さく響く。大きく叩けば大きく響く・・」と言わしめた。



「日本の世界遺産の旅の記録」へリンクします
  



2015-10-26(Mon)

四国の旅・高知県; 土佐の高知 「いごっそう・龍馬」 





 四国の旅・高知県; 土佐の高知 「いごっそう・龍馬」  ,








桂浜に立つ龍馬銅像



「日本一周の旅の記録」へリンクします


“いごっそう” 土佐の龍馬は、政治家より経済人を夢見ていた・・! 、

坂本龍馬は、天保6年(1835年)土佐国土佐郡上街本町一丁目(現在の高知県高知市上町一丁目)の土佐藩郷士(※1 下級武士 下記解説あり)坂本家の二男として生まれた。 青年時代江戸に出、千葉道場(千葉周作)で北辰一刀流を学んだ剣士でもある。

武市半平太(瑞山)卒いる土佐勤王党(※2 下記解説有り)に参加し後、脱藩して勝海舟に師事して海軍建設を計画し又、長州・木戸孝允、薩摩・西郷隆盛を説いて、慶応2年(1866年)薩長両藩の同盟協約を成功させる。


龍馬は、この薩長同盟の勢力に土佐藩を加え、これを背景とする王政復古(天皇制)を考え、土佐藩の参政、後の藤象二郎を説き、立憲的な議会制度を基とする新政府の出現を期した。

主君・山内容堂(15代土佐藩主)は、後藤の提案を受け入れて慶応3年将軍徳川慶喜に大政奉還を建白した。 将軍も時勢を察し、京・二条城において、政権返上を朝廷に上奏した。 

龍馬は、これを喜び新政府創立に奔走したが、11月15日京都河原町「近江屋」で幕府方の刺客に襲われ、同志・中岡慎太郎とともに凶刃に倒れた。
時に龍馬は33歳、慎太郎は30歳であった。



海援隊を組織し、海事貿易も行っていた竜馬が、もし殺されずに明治時代を生き抜いていたら、岩崎のかわりに坂本家が日本一の財閥になっていたのでは・・?とも云われる。
元々、竜馬は国内の政治家としての立身は望んでいないようで、ゆくゆくは外国貿易に見え置き経済人として望みがあったともいわれる。 
それが大洋(外国、太平洋の先にはアメリカがある)に目を向けて建つ「竜馬像」の姿であり、志であった。





※1 長宗我部時代、一領具足という半農半士の制度を制定する。
このことが上下関係のない自由で闊達な土佐人を生んだ。

山内一豊が入府してからは、山内侍(上士)と旧士との間に区分が生まれ、旧士は上士に差別され、侮蔑され、馬鹿にされた。 
そのうっ憤は、自然と文武両道の錬磨に打ち込み、旧士達は長年の間に土佐の反骨精神を高め、幕末維新の立役者となる原動力を身に付けたのであった。
一般に土着の長宗我部時代の遺臣を郷士と称している。

※2 一藩勤王を唱え、攘夷に立ち上がるため、武市半平太(瑞山)が文久元年(1860年)8月に結成した結社。 坂本龍馬、中岡慎太郎といった面々も含め、190余名が加盟。そのメンバーのほとんどが郷士、下士、庄屋といった下士層で構成されている。武市半平太、坂本龍馬、中岡慎太郎、吉村虎太郎は土佐勤王党の四天王といわれた。
 

次回、次回も龍馬


「日本の世界遺産の旅の記録」へリンクします
  


  
2015-10-25(Sun)

四国の旅・高知県; 土佐高知 「長宗我部氏」 




 四国の旅・高知県; 土佐高知 「長宗我部氏」   、





長宗我部元親と浦戸城址の碑




「日本一周の旅の記録」へリンクします
 
戦国期、土佐及び四国一帯を治めていた長宗我部氏の居城は、現在の桂浜に沿った高台にあたる「浦戸城」であった。

往時は、ここが土佐の中心であり、地元で四国土佐の人物はといえば坂本龍馬を指すと思うが、地元の人は、実は「長宗我部元親」(ちょうそかべ もとちか)を指す場合が多いと言う。(理由は後ほど・・、) 



長曽我部氏は、泰氏の後裔と称している。秦氏の一族でとりわけ著名な秦河勝は、聖徳太子の信頼に応えて多大な功績を挙げ、恩賞として信濃国を賜っている、泰氏は信濃に住して豪族に成長していった。

平安末期の「保元の乱」、更には、鎌倉初期に起った「承久の乱」に、幕府方に味方した信濃の秦氏の子孫・秦能俊がその功により土佐国の地頭となり、長曽我部郷に移ったとする説が有力とされる。

長宗我部氏の初代とされる秦能俊が土佐に入り、はじめて居住したのは長岡郡宗部郷(宗我部郷)であり、能俊は地名をとって宗我部氏を称したが、長岡郡の一字をとって「長宗我部」と名乗ったという。 



長宗我部能俊の子孫は、官領・細川氏(土佐の荘園主)の庇護のもとに次第に勢力を拡大、戦国時代には大雄・長宗我部元親を輩出する。

元親は土佐を統一し、勢いで四国制覇を成し遂げる。 
しかし、中央で制覇を確実なものとした秀吉や家康に刃向かったため、次第に没落していく。 
江戸期には、新興の山内武士団により圧迫されながらも、長宗我部の残存武士団は一領具足という半農民などに身分を変え、後に郷士となって幕末に坂本竜馬などの志士を生み、明治の革命を起こす原動力にもなる。 

このあたりが歴史の妙味でもあるが。


次回、龍馬
a href="http://sekainikko.web.fc2.com/">
「日本の世界遺産の旅の記録」へリンクします
  







【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
seesaaブログ    fc2ブログ    gooブログ    googleブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」


2015-10-25(Sun)

四国の旅・高知県; 土佐高知 「一豊の妻・千代」 






 四国の旅・高知県; 土佐高知 「一豊の妻・千代」   、
 



山内一豊と妻の像(岐阜県郡上市   Wik)




「日本一周の旅の記録」へリンクします



土佐藩の祖山内一豊の妻千代が郡上藩主遠藤盛数の娘であった

高知の女性を称えるのに「はちきん」という言葉があるという。

男勝りに働く女性を意味する言葉で、俗っぽい言い方をすれば、「 男には弐金付いていて、4人で八金である」。 
つまり、「はちきん」というのは男4人分の仕事をする女性を表す。 この女性のはしりが「一豊の妻・千代」であると言われる。



ところで、山内一豊の妻 千代は、「千代紙」の名前の起源になっていることは、その真偽はともかく余り知られてない。 

一豊が未だ50石どりの貧乏小武士だったころ、千代は不要になった小袖を切り込み、四角い破切れにして縫い合わせ、継ぎ接ぎ小袖として着用していた。 

周囲の女どもは、始め妙に眺めていたが、意外とそれが洒落てて見た目も綺麗に映った。
その内評判になり、やがて秀吉の妻・ねねや信長の妹・お市の方、そして秀吉自身にも創作、縫い合わせして進呈したというが・・?。 

この歯切れの形や色柄(今で言うパッチワーク)が、和紙にも普及し、これがやがて千代の名を付けて「千代紙」になったという。



因みに、「千代紙」と「色紙」について

分類すると千代紙は和紙、色紙は洋紙である。 日本古来の紙はむろん和紙であり、「千代紙」の折り紙は日本の伝統技術であり、千代紙自体、日本の伝統的な図柄として和服にも使われる事が多かった。 

洋紙が導入されるに及んで、和紙では比較的高価であり、厚薄の不揃いで折り目がつきに
くい理由て次第に、単色の洋紙の「色紙」、折り紙が普及していったという。


風合いを楽しむ和紙・千代紙は障子紙や「色紙・しきし」等に使われている。  

因みに、和紙の効用として、埃を吸い取る(微小な隙間が、微弱電気を帯びてプラスのほこりを吸い取る)、湿度を調節する、臭いを吸着する、UV (紫外線)をカットする、目に優しい、和紙の服はいい、和紙の寝具等々。 

起源としては他に有力なのが京都で、千代紙のことを「京紙」とも称し、京都の伏見宮あるいは閑院宮の千代姫が愛好されたので名付けたという説もある。信憑性についてはどちらでもよいが、一豊の妻の「千代紙」が納得性があるかもしれない・・?


2006年、NHK大河ドラマ、司馬遼太郎原作の「功名が辻」・「山内一豊の妻」が放映された。

主人公・千代は、夫の立身出世を支えた「内助の功」の人物として有名。一豊が織田信長に仕えていた頃に、嫁入り支度のお金で夫のために馬を購入。
心を込めて手入れをしたその馬が信長の目に留まり、夫の出世を助けたエピソードで知られている。

千代に仲間由紀恵、一豊に上川隆也。



一豊の家臣に武田鉄也演ずる「五藤吉兵衛」がいる。 
先代から一豊のいわば守役として幼い時から仕え、放浪時代にもつき従ってきた。

賤ヶ岳(秀吉と柴田勝家)の合戦直前、伊勢亀山城攻めの際、主・一豊に手柄をとらせようと奮闘、壮絶な最期を遂げる。 

この吉兵衛の子孫が高知市内に在住で、古風格な居を構え現在、高知城近くで本屋を営んでいる、と噂できいたが・・?。



「日本の世界遺産の旅の記録」へリンクします
  




【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
seesaaブログ    fc2ブログ    gooブログ    googleブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」


2015-10-23(Fri)

四国の旅・高知県; 土佐高知 「山内一豊」






「日本一周の旅の記録」へリンクします


 四国の旅・高知県; 土佐高知 「山内一豊」   、






山高知城公園の内一豊の銅像




関が原の合戦後、長宗我部氏に代わり徳川家康によって土佐一国を拝領したのは山内一豊であり、遠州・掛川からの移封し、1601年(慶長6年)に土佐へ入国した。

初め浦戸城入城であったが1603年、新城の普請工事を突貫で挙行、領民を総動員してこれに当たらせ、完成したのが現在の高知城である。

高知城は掛川城にそっくりだといわれる。



一豊が掛川城から高知へうつり、城を築くときに「掛川のとおりに築城せよ・・!」と命を下した。 
現在のお城は、宝暦3年(1753年)に創建当時の姿のまま再建され、250年後の今日まで本物の城の持つ偉容を保ち、「南海道随一の名城」と呼ばれる優美な姿を残している。


山内一豊は戦国期の武将で、織田信長に仕え、その後豊臣秀吉に仕えている。

小田原の役の後、遠州掛川6万石となり、関ヶ原合戦では徳川家康につき、土佐24万石を拝領している。

この内助の功により、駿馬を買って信長の好意を得、出世する話は有名である。 
その内助で知られる妻・千代ではある。

戦国時代の女性は「主人の無事を祈り、家を守る」という重大使命があり、特に重職にある妻は「陰の参謀」とまで言われ、これが夫の出世に多大な影響を及ぼしているのである。 

山内一豊は案外、真面目で凡庸な武士であったらしく、妻・千代の陰の力、思考力、洞察力、行動力が有ってこそ、一豊を大名たらしめたともいわれる。 


裁縫が得意な千代は、小袖を仕立てて秀吉に献上した。 
所謂、小袖外交もその1つであるが、関が原合戦の直前、秀吉子飼の大名が西に付くか東に付くか思案している時、妻・千代は書簡を夫・一豊に送り、更に一豊は家康に差し出して、家康側(東側)に付くことを宣言する。 

秀吉子飼の大名達もこれに倣ったという。 


合戦後、家康は「この度の合戦の功は、第一に一豊にあり・・!」と評されて、土佐一国を賜ることになるのである。

無論、妻の陰の力と愛があったわけで、家康も当然承知していたのであった。 



次回、高知 「一豊の妻・千代」   、

「日本の世界遺産の旅の記録」へリンクします
  


 


【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
seesaaブログ    fc2ブログ    gooブログ    googleブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」





2015-10-19(Mon)

四国地方・高知県; 土佐高知 「高知城」





 四国地方・高知県; 土佐高知 「高知城」  ,










野積みの石垣と高知城




現代の土佐の高知の高知城   (以上、Wik)





ガッカリの名所”の「はりまや橋」を後にして、高知城へ向かう。
はりまや橋の交差点を西に行くと、間もなく「高知城」である。

高知城正面に高知市役所が在り、更に、堀の内に県庁がある。 
緑と史跡の城下公園内に無味無粋なコンクリートの高層建物が存在するのは、美観を甚だ損なっているが・・!!


市役所横から右方角へ行ったところに、高知城の玄関口「追手門」があった。

高知城の表門で、石垣の上に載せた櫓(やぐら)門が城の大手(正面)にふさわしい堂々たる構えをみせている。 

門を潜ると早速「板垣退助の像」がある、「板垣死すとも、自由は死せず・・」という名言は有名であるが、実際には死ななかったともいうが。 板垣は、土佐出身の自由民権の創始者であった。



気がつくと、後ろの木々の間から華麗な天守閣が覘いている。 

杉の段(「井戸の段」とも呼ばれた。藩主自らこの井戸段に出向いたという。
また、藩主のお国入りや出駕の際には、ここに一族が出迎えや見送りに出向いてきた所)と呼ばれる広いスペースから 鉄門をへて本丸・天守閣へ向かう。

周囲土台を重層な石垣で築かれ、その上に堂々と城郭・天守閣が聳える。 

四重五階の望楼型天守で、最上階には廻縁(まわりぶち)の欄干が付けられている。 
華麗にして優美であり、ここから高知の市街が一望できる。

天守閣、追手門は築城当時の姿を留めている、数少ないお城の一つであるという。(本丸
御殿、天守閣とも、国の重要文化財に指定されている。


次回は、山内一豊






【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
seesaaブログ    fc2ブログ    gooブログ    googleブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」



2015-10-17(Sat)

四国地方・高知県; 土佐の高知 「よさこい節」






 四国地方・高知県; 土佐の高知 「よさこい節」  ,
















思いを寄せた純信とお馬の像  (Wik)





よさこい節』 高知県民謡

土佐の高知の はりまや橋で
坊さん かんざし 買うを見た
ヨサコイ ヨサコイ
御畳瀬(みませ)見せましょ 浦戸をあけて
月の名所は 桂浜
    (以下、繰り返し)



南国土佐を後にして』 歌:ペギー葉山

南国土佐を 後にして
都へ来てから 幾歳ぞ
思い出します 故郷の友が
門出に歌った よさこい節
「土佐の高知の ハリマヤ橋で
坊さんかんざし 買うをみた」

月の浜辺で 焚火を囲み
しばしの娯楽の 一時を
わたしも自慢の 声張り上げて
歌うよ土佐の よさこい節
「みませ見せましょ 浦戸をあけて
月の名所は 桂浜」

国のおやじが室戸の沖で 
鯨釣ったと云うたより
僕も負けずに励んだ後で  
唄うよ土佐のよさこい節
「云うたちいかんちゃ おらんくの池にゃ 
潮吹く鯨が泳ぎよる  よさこいよさこい」


南国土佐を後にして」の原曲は戦中、戦後まもないころ、四国、土佐地方の軍属関係者によって歌われていたが、昭和30年代なってNHK高知放送局の電波に乗りレコード化され、つぎにペギー葉山が歌って大ヒットしたものである。 

元歌は「よさこい節」である。


「よさこい節」の歌詞〈一番〉については、一般に、五台山・竹林寺の御坊「純信」が、思いをかけた人「お馬」のために、「かんざし」を買って与えた、そこが、はりまや橋のたもとにあった小間物屋であったと言われている。 

これがいつのまにか評判になり、よさこい節で歌われ有名になってしまったという。



当時、仏僧の色恋沙汰は御法度であり、二人は逃避行(かけおち)を選び、伊予へ逃れる。 
土佐から伊予へ山深い峠を越えていくが、その峠の名が「予佐越」=よさこい峠であり、これが題名になっているという。

予佐越峠は高知の西隣・伊野町からR194号で北上し、本川村で県40号(石鎚公園線)で石鎚山方面に行く、この県境付近の石鎚山を望む峠のことで、ここ山深い峠に小さな標があり、哀しい物語の結末が書かれた小さな看板と共にひっそり佇んでいるという。

現在、予佐越峠は西日本では最高峰を誇る四国の名峰(日本100名山)・石鎚山の登山基地になっているとか。


次回、高知城





【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
seesaaブログ    fc2ブログ    gooブログ    googleブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」


2015-10-16(Fri)

四国地方・高知県; 土佐高知 「はりまや橋」 





 四国地方・高知県; 土佐高知 「はりまや橋」  ,






高知の中心街であるはりまや橋近辺、



現代の土佐の高知の「はりまや橋」




竹林寺の僧・純信と恋人のお馬



さて土佐の高知の「播磨屋橋」の現況は・・?、
高知港の入江運河とも思える、幅のある国分川の橋を渡ると高知市街のビル群が現れる。 
先ずは高知の名所・・?、「はりまや橋」(播磨屋橋)を目指す。 

高知市街の目抜き通りと思しき大きな交差点(はりまや橋)を右折すると高知駅へ向かうが、直ぐに「はりまや橋」と大きな標識が頭上にあった。 

しかし、辺りを見回すとそれらしいものは見当たらない、探しながら気がつくと脇道の路地風の所に可愛い紅い橋が設けて在った。



小生が20代に訪れたときは、大通りに「欄干のみ」があって、そこに名前が付されてあった、と記憶しているが・・?。 
昔は、この大通りに欄干に見合う大きな、立派な、そして華麗な「播磨屋橋」が架けられてあったのだろう・・? 
現在の、はりまや橋は、取って付けたような、朱色の飾り橋で、俗人に言わせれば「日本三大ガッカリ名所」と嘯(うそぶく)かれているとか・・?。


「はりまや橋」の始まりについては、
『 是ハ先年モ無之処、播磨屋宗徳北地ニ住居、南地ニ櫃屋道清住居、此通行之為仮橋ヲ掛通路ス、是ヨリ播磨屋橋ト申馴、其後ハ公儀ヨリ御作事也 』、と「高知風土記」述べられているらしく、播磨国播磨(兵庫県)の出身で江戸初期の豪商・播磨屋宗徳(播磨屋)と同じく商人の櫃屋道清(櫃屋)とを往来する為に、掘割川に架けた個人的な橋であったが、後に公橋になったようである。




♪♪ 土佐の高知の
はりまや橋で
坊さんかんざし買うを見た
ハアヨサコイヨサコイ



竹林寺の僧・純信が恋人であるいかけ屋・お馬の為に髪飾りの「かんざし」を買ったという悲恋物語は「よさこい節」の歌で有名である。


序に、この辺りの「はりまや町」は、西武、大丸などのデパートや帯屋町・京町などの繁
華街が並んでいる。
はりまや橋の交差点を中心に路面電車が、東西南北に運行し、北(JR高知駅)南(高知港)東(南国)西(伊野)と分岐している。やはりというか、「はりまや橋」、その名も、「はりまや町」は、高知市の中心でもあった。


次回、よさこい節







【小生の主な旅のリンク集】

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
GoogleBlog(グーグル・ブログ)   FC2ブログ    seesaaブログ   FC2 H・P   gooブログ   忍者ブログ

《旅の紀行・記録集》
「旅行履歴」
日本周遊紀行「東日本編」   日本周遊紀行「西日本編」   日本周遊紀行 (こちらは別URLです)  日本温泉紀行 

【日本の世界遺産紀行】   北海道・知床   白神山地    紀伊山地の霊場と参詣道   安芸の宮島・厳島神社   石見銀山遺跡とその文化的景観   奥州・平泉   大日光紀行と世界遺産の2社1寺群   

東北紀行2010(内陸部)    ハワイ旅行2007   沖縄旅行2008   東北紀行2010   北海道道北旅行   北海道旅行2005   南紀旅行2002   日光讃歌



【山行記】

《山の紀行・記録集》
「山行履歴」   「立山・剣岳(1971年)」   白馬連峰登頂記(2004・8月)   八ヶ岳(1966年)   南ア・北岳(1969年)   南ア・仙丈ヶ岳(1976年)   南アルプス・鳳凰三山   北ア・槍-穂高(1968年)   谷川岳(1967年)   尾瀬紀行(1973年)   日光の山々   大菩薩峠紀行(1970年)   丹沢山(1969年)   西丹沢・大室山(1969年)   八ヶ岳越年登山(1969年)   奥秩父・金峰山(1972年)   西丹沢・檜洞丸(1970年)   丹沢、山迷記(1970年)   上高地・明神(2008年)

《山のエッセイ》
「山旅の記」   「山の歌」   「上高地雑感」   「上越国境・谷川岳」   「丹沢山塊」   「大菩薩峠」   「日光の自然」


関連記事



旅のリンク集
・・

orimasa2005

Author:orimasa2005
【旅のリンク集】・・・

《日本周遊紀行・投稿ブログ》
seesaaブログ
FC2 H・P   
gooブログ    
yahooブログ 



《旅の紀行・記録集》・・・

「旅行リスト」
日本周遊紀行「東日本編」
日本周遊紀行「西日本編」
日本周遊紀行 (こちらは別URLです)・・・

【日本の世界遺産紀行】・・ 
北海道・知床・・  
白神山地・・ 
紀伊山地の霊場と参詣道・・ 
安芸の宮島・厳島神社・・  
石見銀山遺跡とその文化的景観・・ 
北海道・知床・・
大日光紀行と世界遺産の2社1寺群・・



ハワイ旅行2007・・
沖縄旅行2008・・
北海道道北旅行・・
北海道旅行2005・・
南紀旅行2002・・

【山行記】・・・
《山の紀行・記録集》・・・

「山行リスト」 ・・
白馬連峰登頂記(2004・8月)・・
八ヶ岳(1966年)・・
南ア・北岳(1969年)・・
北ア・槍-穂高(1968年)・・
谷川岳(1967年)・・
丹沢山(1969年)・・
西丹沢・大室山(1969年)・・
八ヶ岳越年登山(1969年)・・
西丹沢・檜洞丸(1970年)・・
丹沢、山迷記(1970年)・・
上高地・明神(2008年)・・

《山のエッセイ》・・・
「上高地雑感」・・
「上越国境・谷川岳」・・
「丹沢山塊」・・
「大菩薩峠」・・

カレンダー
09 | 2015/10 | 11
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31
最新記事
カテゴリ
お楽しみコーナー
, , , ,