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2017-05-17(Wed)

平成日本紀行;石見銀山遺跡(7) 「銀山の街・大森地区」





 平成日本紀行;石見銀山遺跡(7) 「銀山の街・大森地区」 平成





https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/d/dd/Omori_town_museum.JPG/800px-Omori_town_museum.JPG
代官所跡の建物7は、現在は「石見銀山資料館」




 https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/1/1a/Omori_town_street.JPG/800px-Omori_town_street.JPG
大森の町並みと「五百羅漢」



仁摩の町へ入って間もなく大きな石見銀山への案内が目に付く、その案内に従って内陸山地へと向かった。 
暫く、潮川に沿って進むが、やがて、大森トンネルを抜けると間もなく「石見銀山史跡」のセンターとも思しき施設へ到着した。 

大きめな駐車場の正面には重々しい門構えの御屋敷(長屋門)がドーンと控えていて、門脇の石碑に「史跡石見銀山遺跡代官所跡」」とある、現在は銀山資料館になっているようである。 


元々、石見銀山の行政を取り仕切る代官所(大森代官所)の在ったところで、江戸幕府の初代長官は、あの「大久保石見守長安」であった。  

あれから数えて59代目となる幕末、代官は鍋田氏の時代であったが、慶応2年(1865)の幕長戦争で浜田藩が落ちると同時に早々と逃げ出し、長州藩は労せずして石見国を掌中に治めることになる。
その後、短期間ではあるが、長州藩による石見支配が明治4年の廃藩置県まで続いた。


現在の代官所跡の建物は、石見銀山資料館として、鉱山で使った道具や生活道具のほか、鉱石の資料や石見銀山地方支配に関する歴史資料などを展示している。

案内書を戴いてざっと拝見すると、この先は武家屋敷、町屋、寺社などが混在する町並みで、その山あいの奥のほうが間歩(まぶ)といって鉱山や坑道の遺構が見学できるようである。


町並みの裏手には自動車用の新道が走っているが、こちら街中は歩行者専用ともいえる歴史の町並みが静かに息づいている。
この町並みが、周囲の山に埋もれるように佇んでいるのが大森町である。 
町並み一帯は、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている。

町並みの最初に町内でも最も異彩を放っているのが、白の漆喰が光る巨大な「熊谷家住宅」であろう。 広大な敷地に、木造2階建ての主屋、付属屋と共に多数の蔵が建ち並び、部屋数も30以上あるという大規模な豪商の邸宅である。 

町の代表的な商家で、酒造、金融など大森代官のご用達でもあったようであり、代々町役人(年寄職)を勤め、銀山経営、代官所御用達を勤めた有力商家であった。 総漆喰塗りの建物は国の重要文化財に指定されている。


次に「旧河島家」がある。
建物は地役人まで昇進した上級武士の屋敷の構えを良く伝えているという。
切り妻造りの平屋建て、平入様式(長辺側の玄関、あるいは屋根の棟・むねと平行な面を平(ひら)という。直角な面を妻入・つまいりという)で、赤味の少ない石州の桟瓦葺きで、道路に面して土塀の小さな門がある。

1800年代初め、代官所銀山方役所に勤務した附地役人・河島氏の居宅として 建てられた武家屋敷で、復元された母屋には当時の生活用品などを展示し、一般公開している。 
地役人というのは、現地役人のことで上級から下級までの役割があるとか。


細い路地には、他にも風格ある大型の町人住宅や旅籠が並ぶ。 
町人といっても公用人を相手にする商人で、泊まる宿は「郷宿」とも言われ、家屋は大きくて重厚である。 

家並みの中ほど、路地の角に位置する格子戸に縁側付の古風な家に、自販機が設置してあり、これが木造りの小屋の中に納まっていて何とも風雅なのである。


右側の山裾の道よりチョットヘこんだ所に「栄泉寺」がある。
このお寺は石段の上に中華風の一風変わった山門が特徴であろう。 

1596年(慶長元年)創建の寺院で、石見銀山における禅の修業道場であったという。 
別称「お芋発祥の寺」ともいわれる・・?。(このことは後程)


町並み一帯は、300年前の面影を残す穏やかで、心が休まる地域であるが、難が一つだけある。 
街中に露骨に電柱が立ち、その電線が縦横に張り巡らせてあり、折角の美的景観が台無しになっているのである。 
通常の都市空間においても無計画に張られた電線は美観を損ね、視界、視野を狭くしている。 

小生は別にカメラマンではないが、野外で写真を撮影する時、電線の張り具合には気を使い、一枚の写真に電線が一本通っているだけで、どんなにいい構図でもその価値はゼロに成ってしまうのである。 
普通、数多くある「建造物群保存地区」の指定群には、これらの醜い造作物は大抵の場合、地下に埋設されるか、見えないように適当に工夫処置しているはずである。
世界遺産になった今日、改善は観られるであろうか・・??。


町外れの左手の山際には、山と一体になった「五百羅漢」がある。
苔むした岩肌に石柵や石段が施してあり、岩屋にはが彫り物が多数造ってあり、歴史の風雪の中にも威厳と風格と美観を備えていて、特に境内に通じる石造の「反り橋」は実に見事である。 

1766(明和3)年に創建された、その名も「羅漢寺」で、石見銀山の坑夫の霊を供養するために造られたという。 
江戸城大奥の女中などにも寄進を受けたという変わり寺で、25年の歳月をかけて刻まれた五百羅漢を守護するために堂宇も建てられたとか。



石見銀山では、江戸期の全盛期には20万人もの労働者が働いていたといわれるが、その平均寿命は30歳くらいだったと推定されている。 
又、4年ほどで塵肺を患う人が多かったという。 

境内の石窟には温泉津の石工、坪内平七(江戸中期の大阪の石工)とその弟子達に よって彫られた五百羅漢像500体は、まったく損傷無く当時の石工のノミ跡も鮮やかな石像として残っている。


17世紀初めの『銀山日記』によれば、人口20万人、家屋数約2万6,000軒を数え、石見銀山が日本有数の都市として栄えていたことが記されている。 
町は、生活の場であった「大森地区」と、銀を採掘していた「銀山地区」とに大きく区分されていたという。


次回は、 「大久保石見守

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