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2017-04-19(Wed)

平成日本紀行(177) 益田 「柿本人麿呂」




 平成日本紀行(177) 益田 「柿本人麿呂」   .



https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/f/f6/Takatsu_Kakinomoto_Jinja_Haiden.jpg


高津柿本神社(益田市)と柿本人麿呂像



「足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾之 長永夜乎 一鴨將宿」・・?、

阿武町から須佐町、田万川町は海岸にへばりつく様に、鉄路(山陰本線)と道路が並行して走る。 
午前の頃、モヤで余り視界も効かなかったけど、今はスッカリ晴れ渡り日本海の青が目に眩しいくらいである。

ところで、海岸線に沿って開けている阿武町は、自然豊かな海の町で海の幸も豊富であろう・・?。 
ただ、周辺の近隣地域であった須佐町、田万川町、むつみ村、福栄村の町村は、萩市と合併して新市制の萩市になっているのに、この一町の阿武町だけが新萩市に完全に囲まれるようにして独立自尊を決め込み、見たところ孤立して宙に浮いている感じは否めない。 

他事(ひとごと)ながら、萩市から合併の話は有ったのかどうか、又、有ったとしても阿武町自身が、それを断ったのかどうか・・?、定かではないが妙な感じは受ける。 
何事か理由があっての、単独町政を行うことを表明したのだろうか・・?。 


後になって判ったが、同町の町長は始めから合併を拒み単独町政を選んだといい、「阿武町の基金は阿武町で使いたい」などとして、広域合併の拒否を貫いたという。
だが、人口約4000人の町の現実は厳しいとされ、国と地方の税財制を見直す三位一体改革によって、この間、同交付税が大幅に減った。
それでも町の担当者は「合併でも、単独でも都市部から離れた周縁部という町の置かれた立場は同じ。合併を巡って揺れたお陰で、住民に自立意識が芽生えた。今後は町の独自性を出したい」 と意気込んでいるらしい。


田万川町の「道の駅・ゆとりパークたまがわ」で一服した後、仏峠と言われるトンネルを越えると、ここは既に「島根県」であった。 
海岸に突き出たように「サンシャインP・A」があり、余りの展望の良さに車を寄せてみた。 

寄せ木で造られた床地に、品よく石のモニュメントが施してあり、開放感ある大海原を目前に思わず深呼吸する。 
日本海の荒海と言うけれど、今は砂浜に小波が静かに打ち寄せていて、すぐ其処に浮かぶ島々も、紺碧一色に模様と彩りを添えている。


益田の町に入った。 高津川の大橋を渡ると益田市街である。
益田は、急峻な山陰の山々に囲まれている地域に高津川及び益田川が主要河川となり日本海に注いでおり、そこに、小さな益田平野が三角州状に広がっていて、その中心に益田の市街地が開けている。 

その市の西部、高津川の袂に「高津柿本神社」があり、歌人として知られる「柿本人麿呂」を祀っているという。 
どっしりとした風格の入母屋造の本殿を持つ神社で、地元の人は「人丸さん」と呼んでいるようで、読み方によっては「ひとまる・火止まる」で、火災よけの神様、「 ひとうまる・人産まる」で、安産の神様と開運、火難除け、商売繁盛、安産の神様として人々の信仰を集めているとか。

元来、柿本人麿呂は歌聖であることから、学業成就を願う学生も多く、人麻呂を偲ぶ参拝客が後を絶たないという。


『 足日木乃 山鳥之尾乃 四垂尾之 長永夜乎 一鴨將宿 』
-----万葉集歌

「 あしびきの 山鳥の尾の しだり尾の ながながし夜を ひとりかも寝む 」
-----百人一首

【 夜になると谷を隔てて独りさびしく寝るという山鳥の長く垂れた尾のように 長い長いこの夜を、私は独りさびしく寝るのだろう 】
-----現代訳  


この歌は、小生たちが高校生頃、習い覚えたもので、百人一首を嗜(たしなむ)む人達は、どなたも御存じの一句である。 
柿本人麿呂(かきのもとのひとまろ)は万葉集のみならず和歌史を代表し、しいては日本文学史をも代表する人物で、奈良朝以前の飛鳥時代の歌人である。 

生涯で300首以上の歌を詠み、「万葉集」に人麻呂作歌75首、および柿本朝臣人麻呂歌集として歌25首、計100首を載せてる。 
又、百人一首・百人秀歌の中で三番目に置かれている。


柿本人麻呂」といえば、我々にも馴染みのある歌人で、せいぜい平安期ぐらいの人物と想像していたが、これほど大昔の人とは存じなかった。 
上記、韓文字歌(万葉集歌)は一見したところ、何のことやら判らぬが、飛鳥時代には未だ平文字は無く、韓文字で書かれた原文、原歌なのである。


因みに、「万葉集」が発刊されたのは、奈良中期ごろで、集歌内容は天皇、貴族から名もない防人(さきもり;古代、北九州の守備に当った兵士のこと)、遊女ら様々な身分の人間が詠んだ歌を4500首以上も集めたものという。 

人麻呂についての人物史書や記録記載はあまり無く、その生涯については謎とされている。 宮廷での皇室讃歌や皇子・皇女の挽歌を歌うという仕事の内容や重要性からみても、政府筋の高官であったことは伺えるが。


人麻呂は、石見ノ国へ国府の役人として下向したのであろうと言われているが、その痕跡、足跡は確かでなく、当時の国府がどこにあったのかも諸説あり、現在の浜田市ともされている。 
人麻呂の終焉の地も定かではないとしながらも、有力な説として現在の島根県益田市(石見国)であるとされる。

地元では人麻呂の終焉の地を既成事実としてとらえ、「柿本神社」としてその偉業を称えている。 そして人麻呂が没したとされる場所は、益田市沖合にあった「鴨島」であるとされている・・が、現在はその鴨島そのものも存在していない。 

万葉集に残されている死を目前にした人麻呂の歌など「鴨山五首」から、人麻呂が石見の「鴨山」で亡くなったこと、そして、そこには「石川」(現在の高津川・・?)という川が流れていたらしいが、いまだこの鴨山がどこなのか確定されていないという。 

平安期、11世紀初頭の大津波で流失したともいい、海中からその遺痕が発見され、神社に奉納してあるとも云われるが、これも定かではないと・・?。

益田市は2004年11月1日に、内陸部の美都町・匹見町と編入合併し、新益田市が誕生している。


次回は、「津和野

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