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2016-04-08(Fri)

30、安芸の宮島・厳島神社の大鳥居の謎・秘密(3) 









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 30、安芸の宮島・厳島神社の大鳥居の謎・秘密(3) 




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大鳥居に飾られた扁額(へんがく)の意味、

そして、この大鳥居に飾られた扁額(へんがく)の文字が、海側と社殿側で異なっているということは知らない方も多いのではないでしょうか。 

実は、この厳島神社の大鳥居の扁額には、以下のような謎の文字が刻まれています。
海側には「嚴嶋神社」、そして社殿側には「伊都岐島神社」と書かれているのです。

しかし、この社殿側の「伊都岐島神社」とは、どういった意味があるのでしょうか、ま
ず、「伊都岐島」の読み方ですが、これは伊都岐(いつき)島と読みます。


さらにその語源は、神仏分離が行われる前で言う仏教の弁財天のことであり、所謂、弁天様にあたる「市寸島比売命(いちきしまひめ)」から来ています。 
勿論、伊都岐(いつき)島は厳島と同じ様な読みですが、名前を変えたのは清盛が厳島という名前を付けたとされます。 

その理由はこの厳島神社の厳(いわお、いつ)とは、神聖と言う意味や他にも威力(勢い)が盛大であるなどと言う意味合いにもなります。 


清盛は平家の繁栄と、将来、この厳島神社が、自らが創造した幻の都ともされた「神戸の福原京(ふくはらきょう)」の守護神として、この厳島神社の加護を得ることを想定していたとされます。 市寸島比売命とは宗像大社の三女神の一神でもあり、三神の中でも一番の神とされているのです。


厳島神社・大鳥居の「扁額」を書いたのはいったい誰かと言うと、扁額の裏には「明治7年甲戌四月二品熾仁親王謹書」と記されているそうで、江戸から明治時代の皇族である「有栖川熾仁(ありすがわ たるひと)親王」による染筆とされています。

親王はご承知の戊辰戦争や西南戦争、日清戦争において最高指揮官を務めた人物ですが、又、皇女和宮の元婚約者としても知られています。


次回、「厳島神社の大鳥居の謎・秘密(4)」





  
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2016-04-07(Thu)

29、安芸の宮島・厳島神社の大鳥居の謎・秘密(2) 









 29、安芸の宮島・厳島神社の大鳥居の謎・秘密(2) 






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鳥居とは何のため、どんな意味があるのか

厳島神社は、もともと宮島(厳島)そのものをご神体と考え、古代から航海の守り神とされてきました。
厳島の語源が、神に斎く(いつく = 仕える)島といわれて、島そのものが信仰の対象なのです。

一般に鳥居は、神が住む領域と人間の住む領域を別けるための門であり結界なので、宮島(厳島)からは少し離れた今の場所に立てられたのです。
潮の満ち引きで、海になったり砂地になったりする絶妙な場所ですね。

この大鳥居をはじめとする荘厳な建物を再建したのは平清盛。 清盛が再建するまでは小規模な神社でしたが、清盛の改修後は貴族や天皇一族も参拝し、平家一門とともに大いに繁栄したといいます。



大鳥居をくぐる海の道が参道

厳島神社には、海上に大鳥居があります。 厳島神社や宮島をイメージした時に、まず、頭に思い浮かぶのが、この「大鳥居」です。 まさに、ここ厳島神社だけではなく、宮島の「象徴=シンボル」とも言えます。
この大鳥居の謎というか秘密をチョット明かしましょう。

厳島神社の大鳥居は、本社から108m離れた海中に立っています。
そして大鳥居の延長線に本殿正面があります。

これは宮島の参道が海にのびているということが主体となっていて、厳島神社へのお参りは本来、舟に乗り鳥居をくぐって行くのが正式な参拝スタイルです。
その船の参拝の仕方、方法も、左に2回旋廻してから進むのが決まりだとかいわれています。
平清盛は、粋な演出を考えたものですね。



大鳥居のサイズ、

先ず、厳島神社の大鳥居のサイズ(大きさ)は、高さ約16.6m、棟(大棟・笠木)の長さ24.2m、主柱周り9.9m、総重量は約60t、厳島神社の大鳥居に使用されている木材はクスノキであります。 

厳島神社の大鳥居に使用されているクスノキの産地としては、社殿から向かって右側(東側)の柱が福岡県久留米市そして、社殿から向かって左側(西側)の柱が佐賀県佐賀市となっているそうです。


次回、 「厳島神社の大鳥居の謎・秘密(3)」

  
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2016-04-06(Wed)

28、 安芸の宮島・厳島神社の大鳥居の謎・秘密(1)










  28、 安芸の宮島・厳島神社の大鳥居の謎・秘密(1) 





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厳島神社の大鳥居と参道、

厳島神社といえば、青い空と海をバックに浮かぶ朱色の大鳥居が印象的です。
海上に作られた鳥居は全国にありますが、どういう意味があるのでしょう。
そもそも鳥居とは、神域と人間の世界を分ける門のようなもの。鳥居をくぐり、参道を進んで神様の居場所へお邪魔をするわけです。 その参道も、厳島神社の本来の参道が海にあるのです。



平安期のかつての参拝方法

宮島は島そのものがご神体とされており、かつては人が住むことは許されていませんでした。
そのため、人々は対岸の地御前から船で厳島神社に向かい、大鳥居の下を船でくぐって厳島神社に参拝していました。
まさに、大鳥居から厳島神社へは海そのものが参道あったと言えます。

厳島神社では毎年の8月の大潮の時に「管絃祭」といわれる御船祭りが行われます。
管絃祭というのは、古くから都では貴族が池や河川に船を浮かべ、優雅な「管絃の遊び」をしておりました。 
嚴島神社を造営した平清盛はこの風習を嚴島神社に移し、海上で遊びではなく神様を慰めするための神事として執り行うようになりました
此の時に、大鳥居を中心にして行われ、御座船は本殿と大鳥居の海の上を行き来するようになるのです。




厳島神社の「管絃祭」について

管絃祭の時の御座船は、現在は和船を三艘並べて一艘に船組をしますが、昔は大きな船を一艘使ったようです。 この船には櫓が六丁あり自力で航行しておりました。
祭典は午後4時頃から嚴島神社の本殿で発輦祭(はつれんさい;天皇や神が出発すること)があり、次に御鳳輦(ごほうれん;来宮の神々を乗せ、町中を回って町の繁栄を祈る神事です。 宮司・神官をはじめ、総代・神役など御神幸行列は壮大な時代絵巻の再現となります)を管絃船に移し大鳥居前の儀を終えて、船内で管絃を合奏しながら対岸の地御前神社に向かいます。

管絃祭の祭典後、管絃船は宮島に向かい、長浜神社、大元神社で順次祭典を行い、大鳥居をくぐって各神社前で祭典と管絃があり、さらに狭い枡形に入り一気に御座船を三回廻りながら管絃を奉奏します。

このダイナミックな儀式が最大の見せ場で嚴島神社管絃祭のクライマックスであり、参拝客や観光客の興奮した声と拍手は、潮の香りのする廻廊にこだまし、夜空には満月が輝きます。
この儀式が終わると神様は本殿に還御され、真夏の瀬戸の海を舞台に繰り広げられた一大平安絵巻は幕を閉じます。


次回、 「鳥居とは何のため、どんな意味があるのか」

  
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2016-03-26(Sat)

27、世界遺産;厳島神社の仮説  「平家滅亡と厳島神社」 






 27、世界遺産;厳島神社の仮説  「平家滅亡と厳島神社」 






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当時の中国・宋は、北方民族「金」(今の中国東北地区・満州)の侵略を受けていました。
武器の確保は、宋にとって最重要課題だったのです。

清盛は、非常に優れた情報収集能力を持っていて、非常に優れた戦略化であり、偉大な外交家だったのです。
当時の東アジアの情勢については”自分の手のひらを見るように詳しかった”のです。
宋が弱体化している今こそ、平等な貿易関係を築くことが出来る絶好のチャンスだと思っていました。


当時は、海に出ることはとても危険でした。
貿易都市として栄えた寧波、そんな貿易に携わる人にとって心のよりどころとなったのが、普陀山でした。
宗教都市・普陀山と貿易都市・寧波が近くにあるという関係は必然でした。

これは、厳島神社と福原の関係と似ていますし、つまり日宋貿易で重要な位置にあったのが、厳島神社でした。
厳島神社は、日宋貿易の入口であり出口なのです。

清盛は、貿易と宗教の相乗効果を知っていたのです。
日宋貿易によって日本の国力を高め、同時に信仰の聖地として厳島神社を築き上げたのです。


その後の源平の戦いで平家は滅びたものの、厳島神社に残された観音信仰そのものが機能していたので、厳島は残ったのかもしれません。
何故なら、鎌倉時代というのは日本の宗教界、仏教界では最も栄えた時代でもあったのです。 

鎌倉幕府も貿易を念頭に置いていたので、この厳島の修繕には力を入れていました。

因みに、現在残されている具体的な仏教界と言うのは鎌倉期から派生した各種の宗派が引き継がれているのです。

今から800年以上前に清盛によって建設された海上神殿・厳島神社は今も輝き続けています。、そこにはまだまだ知らない謎が眠っているかもしれません。


 本稿、世界遺産・厳島神社、終わり、

  
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2016-03-25(Fri)

26、世界遺産;厳島神社の仮説  「厳島神社;清盛の中国貿易と仏教」 






  26、世界遺産;厳島神社の仮説  「厳島神社;清盛の中国貿易と仏教」  




http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/thumb/7/7b/Owadanotomari-iwakura.jpg/800px-Owadanotomari-iwakura.jpg
大輪田の泊まり、今の神戸からの遺跡、


http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/f/fc/Nanso-sen.jpg/800px-Nanso-sen.jpg
宋銭の各種、




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清盛の中国貿易(宋)成立の秘密とは仏教と厳島神社だった。

兵庫県神戸市は今では日本最大級の国際貿易港といってもいいでしょう、そして、この地で近年、新たな遺跡が発見されたのです。

発見されたのは800年以上前の平安末期の権力者の邸宅であり、其の中から珍しい海外製品の白磁・青磁などであった。

其れは宋の時代に造られたものであり、当時は盛んに宋と日本が貿易していたことが判ります。 同時にこの時期、宋銭も発見されており、それは実は、日本の貨幣経済の始まりであったともされているのです。
この時期には、平清盛は日宋貿易の為に福原(大輪田の泊まり、今の神戸)に居をうつし、宋との貿易を拡大させていきました。


先ず、都を目指した清盛は福原に巨大な港を築き、宋の船が瀬戸内海を通って福原に来れるようにした。 其れは宋との対等な貿易関係を築きますが、そこには巧みな外交戦略があったとされています。

この事は、中国・宋が世界でも政治・経済・文化のトップを走り続けてきたとされているが、清盛はその中国との対等な貿易関係を築くために大いに仏教(観音信仰)を利用したとされているのです。

清盛は中国・寧波の寺(普陀山と舟山列島)が浮かび、 其処から観音像である仏舎利を得ていて、即ち、これは中国の仏教勢力の仲間入りをした証拠でもあるのです。 そして、この仏教勢力を利用して日宋貿易をしたのです。
其の日宋貿易の繁栄と航海の安全、海の祈りの場として、途中の瀬戸内の安芸の宮島に厳島神社を造営したのであった、



切り札の輸出品は日本国内の硫黄であり、硫黄は火薬の原料となり武器を造るのに必要不可欠であったのです。
当時の宋は北方民族の「金」の侵略を度々受けていましたし、武器、又は其の材料となる物資の確保は宋にとって最重要課題だったのです。

この辺り、平清盛は非常に優れた情報収集能力を持っていて、当時の東アジアの情勢については、自分の手のひらを見るように詳しかったともいわれているのです。

宋が金の侵略を受けつつ弱体化している今こそ、平等な貿易関係を築くことが出来る絶好のチャンスだと清盛は思っていたかもしれません。 清盛は、非常に優れた戦略化であり、偉大な外交家だったのです。


次回、 「平家滅亡と厳島神社」

  
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